Devil's Own

cinema, music, book, trash and so on...

レノンの命日は僕が童貞を失った日です

ほんとに。

「神に近づこうとしたら 死にたくなった」

でもセックスするのは神から遠ざかろうとする行為ですな。
久々にレノンミュージアムに行きたい。

MSブログ潰そうかと思うのだが、結構思い入れのある文章もあるので、それをこういう形で転載し終えたらにしようと思う。
レノンミュージアムについての当時のブログ。当時は浮ついていたので、文章も極めて不快だ。

一言で言うと、ジョンの純粋さ、素直さ、滑稽さ、ナンセンスなユーモアセンスがダイレクトに伝わる素晴らしいミュージアムだった。
彼の妻であり、アーティストであるオノ・ヨーコミュージアムのデザイン的プロデュースに関わっているところが大きい。

ヨーコのワークショップに初めて訪れたジョンが、天上に「Yes」と書かれているのを見た瞬間、彼女に恋をしてしまった・・というのは有名な話。
ミュージアム内にはそれを思い返す強い肯定のヴァイブを感じることができた。

ジョンが掲げた理想は、とても稚拙で、滑稽なものだ。IMAGINEという名曲を、「想像しただけで戦争がなくなるのか?」と揶揄する、保守派の言い分もある意味本当だ。

だけれど、彼やヨーコの贈る肯定の意志には、誰も太刀打ちできないに違いない。
無視しても、耳を塞いでも、爆弾を落としても、彼らのメッセージを消すことはできない。なぜなら彼らのメッセージは、とても抽象的だが、脆く、儚く、言葉や記号で理解するものではなく、ただひたすらに感じるものだからだ。

多くの人々はそれを愛と呼んでる。


「1980・12・8」
とだけ書かれた真っ白な壁を最後に、ミュージアムは唐突に終わる。
何の説明もなしだ。
でも僕は結構納得できた。彼の死については諸説があるが、それをここで説明するのは無意味だし、彼の人生の幕切れもまた、とても唐突なものだったからだ。もしこのミュージアムが彼の死に関して必要以上に悲嘆していたり、感傷的なものだったとしたら、訪れる人は彼の魅力を少しも理解できないに違いない。

僕にとってのジョンは、平和の使いでも、愛の伝道師でもない。遠い国に住んでる、おバカで、飲んだくれ、皮肉屋で、繊細で、頼りなくて、だからこそとっても魅力的な友達のようなものだ。一昨日僕は、久しぶりに彼に会えた・・・そんな気がした。

多分気のせいだ。
Give Peace A Chnce。

あ、眠れない話聞いてもらえなかったとか思ってないから気にしなくていいからね!(笑)

いつもお世話になっている雀吉さんがウェブログでジョンの死んだ次の日に生まれたお兄さんのエピソードについて書いていて、これが死ぬほど素敵なお話だ。
ベッドに入る前に少しだけ読んでみて欲しい。
http://plasmatron.exblog.jp/5100669/

僕の兄はジョンレノンが死んだ次の日に生まれた。年も一緒だ。兄の誕生日は十日だけど、ジョンが死んだのは日本時間では確か九日だったと思う。だから次の日・・・だと兄は言い張っている。
はいはい、生まれ変わりでよかったね。
もろビートルズ世代の親父はその波に完全に飲み込まれていて、ビートルズの大ファンだった。解散した後もジョンだけは聴き続けていたらしい。そこにあの事件。そのショックは計り知れない。
親父は病院にいるお袋に、消え入りそうな声で「ジョンレノンが死んだ・・・」と告げたらしい。しかし初の出産を目前にしているお袋はそれどころではない。
「あたしは陣痛で苦しみようのに、死にそうな声で何を言いようと!」
ごもっともですな。そうして次の日に生まれた子を親父はジョンレノンの生まれ変わりだと信じて、悲しみも吹っ飛びましたとさ。

日本時間は9日だから・・・ってあたりがね。
ジョンが死んで、世界は悲しみに包まれたのかもしれないけど、でもどこかでこんな風に小さな幸福の瞬間が沢山あったんだろうなと思う。
今だって、遠くの戦争で、とんでもなく理不尽な殺人が起こっていて、だけどきっと新しい命が生まれる瞬間もあって。
それををみんなが思い出せば、きっと世界は優しくなるんだろうなぁ。

そしてジョンが伝えたかったことも、多分そんなことだったんじゃないかと思うんだ。