Devil's Own

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だらだら仕事しつつも訳者としての村上春樹の是非について語る

 番発終わってもまだ僕らが忙しいのはどういうことだと!文句ばかり垂れ流すなと。誰でも同じ気持ちだ。
 一年生がやけに沢山入ってきたので、その分大変なので、それは仕方ないと、せっせとマニュアル作成する。アナウンス担当のKさんと就職のこととか村上春樹の訳したアメリカ文学作品の是非について語り、概ね演出過多だという意見に纏まる。特に「キャッチャー・イン・ザ・ライ」はやりすぎだと。僕の周りには過剰なハルキストが本当に少なくて、むしろ「春樹ちょっと苦手」くらいな人が多いので、だから少し居心地がよいのだとは思う。まぁ僕は「グレート・ギャツビー」に関しては春樹肯定派なので、一応そこは薦めておいた。春樹訳の「ライ麦」否定派の「ギャツビー」に対する意見を聞いてみたい。
 最近新しく訳出されたチャンドラーの「ロング・グッドバイ」は、ざっと立ち読みした感じだと、圧倒的にハヤカワ文庫の方が硬質でハードボイルドな、本来のチャンドラー作品としての魅力を持っている気がした。第一「ロング・グッドバイ」とタイトルを訳出するとなんか不必要にお洒落感が出てしまうのがなんとなく、嫌だ。原題なんだからいいだろうという話なんだけど、個人的には「ロング」も「グッドバイ」も既に日本語になってしまっていて「長いお別れ」とはまた違ったセンチメンタルなニュアンスを持ってしまう。恐らくそれは村上春樹の狙いなのかもしれない。「長いお別れ」はフィリップ・マーロウシリーズでも特に感傷的なフィーリングを持った作品ではあるので、情緒的な訳に対する感性が評価の分かれ目になるだろう。いずれにしても、本屋ではハヤカワ文庫のチャンドラー作品が急に目立つ位置に大量に置かれるようになって、やはり「春樹が訳した」というのはコマーシャルな面でも重要な意味を持っているのだなと思う。

ロング・グッドバイ

ロング・グッドバイ