今日は
ミスドで「
魔の山」を読了。「
魔の山」は高校生のとき岩波版で挫折して以来、なかなか手をつけずにいた。同じく岩波版で高校生のときに読んだ「
ヴェニスに死す」「トニオ・クレーゲル」は、とても好きで繰り返し読んでいたのだが、去年初めて新潮版を読んだところ、この
高橋義孝氏の訳がとってもよくて、同じ高橋氏の訳だし冬休みを利用して攻略してやろうと、新潮社刊の「
魔の山」上下巻を購入したのだが、結局冬はどういうわけか
バルザック祭りになってしまって(笑)5月連休にようやく取り組み始めた。一度読み進めると、なぜ高校のときに挫折したか理解できぬほど面白い。むしろ高校生の頃のほうが、主人公ハンス・
カストルプに感情移入しやすかったはずなのに、イマイチ持っていかれなかったのは、岩波版の訳が少しだけ難解だったからかもしれない。もしかしたら、あのときこの高橋氏の訳を手に取っていたら、普通に読破していたかもしれないなぁと少し後悔した。当時は訳者を変えて読むなど夢にも思わなかったのだ。クライマックス近くセテムブリーニとの別れのシーンを読んでいるときに、店内の有線でハリスンの「All Things Must Pass」が流れ出し、泣きそうになる。ただ、この作品を自分のものに出来るかというとまだまだだとは思う。基本は新潮で読みつつ、難解な箇所(特にセテムブリーニとナフタのスリリングな論戦のくだり)や激しく心動かされたラインを岩波で補充するという形で読み進めていったが、やはりまだこの作品のエッセンスの10分の一もつかめていない気がする。ただ、僕は「
魔の山」は
教養小説とかお堅い類のものではなく、十分にエンターテイメントだと思ったし、恋愛小説であり、何より青春小説であると感じた。
先述したように「
ヴェニスに死す」も僕にとっては重要な作品だが、最近光文社からリリースされたものはタイトルが「
ヴェネツィアに死す」に改められていて物凄く違和感を感じた。正式には、恐らく「
ヴェネツィア」の発音が正しいのだが、「
ヴェニス」と「死す」の
押韻が生み出していた絶妙な発語感覚が崩れてしまったのは少し哀しい。
どうでもいいけど、
宝月ひかるがめっちゃ可愛い。たまに見せるビッチっぽさが美しい。小木じゃなくて僕とデートしてくれ、お願いだ。