Devil's Own

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明日、地球にいないかもしれない君へ―「崖の上のポニョ」


 「崖の上のポニョ」は、「崖の上のポニョ」という名の物語だ。このトートロジーですべてを言い切ってしまった感がある。したがって以下のエントリはこの映画について「語る」という行為が野暮なものだと分かった上で書いていくことになりそうだ。宮崎駿のアニメはそろそろ子ども達の手に返される時期に来ているのかもしれない。
 いろいろなところで散々言われているように、この映画は子供向けだ。描かれる風景は絵本か紙芝居のように明るくて、軽やかで、楽しい。「はじまり」で始まり、「おしまい」で結ばれる。物語、扱うテーマ、画のタッチ、全ての面でその明快さは突出しており、宮崎駿フィルモグラフィーの中にこの作品を置いてみたときにそのライトな印象は特異ですらある。ただし、そんな「わかりやすい物語」であるにもかかわらず、僕はこの映画を論じることをとても難しく感じている。この映画が伝えようとするメッセージが、あまりに深遠で真っ直ぐなものであるために、戸惑ってしまうのだ。「崖の上のポニョ」は綺麗事を引き受ける傷だらけの映画だ。 
 この映画で描かれたメッセージを一言でいうなら、「肯定」だ。他者を他者としてありのまま受け入れ、愛そうとする気持ち。この「肯定」にはいかなる打算もエゴイズムも含まれない。受け入れたいから受け入れ、好きだからともだちになる。これを実現するのはとても難しい。「誰とでも仲良くしましょう」は、僕らみんなが学校で教わるスローガンだが、年を重ねていくにつれ、僕らはこれが綺麗事であることを知っていく。世の中にはイヤな人がわんさかいる。言語の壁があるし、社会的な立場もある。「誰とでも仲良くする」なんて予め実現不可能な綺麗事なのだ。そうしていくうちに、僕らは人と仲良くする前に、相手がどのような人であるかを知る、というワンステップを置くようになる。 「私は○○である」という文章に適切な言葉を当てはめるとしよう。名前、人種、国籍、性別、社会的役割などなど。よく考えてみるとそのいずれも、「私」そのものではないということに気がつく。人にはその人をでアイデンティファイするあらゆる因数がある。僕らにとって他者への「肯定」は、他者への「説明」と限りなく同義だ。多くの場合「肯定」は「説明」を必要とする。しかし、本作の主人公・宗介は言葉が介在しない混じりっけなしの「肯定」をほぼ完全な形で実現している。他者を肯定するとき、彼が手がかりとしているのは「その人が何であるか」という説明ではなく、「ぽにょってしている」などといった印象だ。宗介にとって、「呼び名」は他者を説明しラベリングするためのものではなく単に「呼ぶための名前」であり、だからこそ最も近しい存在である「お父さん/お母さん」といった肩書きすら彼にとって無効になってしまう。*1これは誰にでも出来ることではない。僕は「崖の上のポニョ」を肯定するが、「崖の上のポニョ」がどんな映画であるかをこうして言葉で論じている時点で、宗介が実践する「肯定」からは逸脱しているように思う。「この映画を作った人」とだけ記し、以下全てのスタッフ・キャストの名前だけを羅列する簡潔なエンドクレジットを見れば、そのアティチュードの徹底ぶりがわかるだろう。
 ハイライトはやはりポニョが宗介のもとに帰ってくるシーンで、迫りくる津波の視覚的快楽とその上を走り回るポニョの躍動感は素晴らしく、カタルシスに満ちている。ここで物語はひとつのピークを迎え、その後はエンディングまでひたすらゆるやかに進行する。だからといって映画自体のテンションが下がるということは全くなく、海に沈んだ街並とそこを行き交う古代魚のイメージは、心地よい終末観と倦怠を伴って見るものを幸福にさせる。クライマックスで、ポニョの父親であり、人間に対して猜疑心を持っている魔法使いのフジモトが、宗介にある試練を与える。しかし実のところ宗介はポニョと初めて会話を交わした時点でその試練をクリアしてしまっている。ゆえに、映画にもうひとやま期待していた観客は肩透かしを食らうかもしれない。劇中、宗介はあらゆる不可思議な現象すべてをありのままに肯定しており、それが当たり前のこととして実現しているから、観客には目の前で起こった奇跡の素晴らしさが理解できないのだ。明快な文法で綴られて入るが、そのメッセージはいささかも限定的(子供向け)でない。文法が稚拙だからといって、そこで語られるメッセージが稚拙だということにはならないのだ。だから僕は、あーだこーだ語ることをやめて、何も知らない子どもたちにこの物語を託したいと思う。君たちの住む世界は実は酷く汚い。地球は明日には住めなくなっているかもしれないよ。だけどそんなニヒリズムを教えるのはこの素晴らしい「崖の上のポニョ」を見せてからにしよう。

*1:宗介は両親を名前で呼んでいる。