Devil's Own

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『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』


 一応先に言っておくと、私はジョニー・トー作品の作家性に対しては適度な距離感をもって見ている。単純に好みの問題で、私はペキンパーやアルドリッチの映画にもあまり感情移入できないたいへんなオトメ心の持ち主なのだ。ただ、こうした前提を踏まえても、今回の『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』にはとても興奮したし、傑作だとおもった。愛娘の一家を惨殺され復讐を誓う男コステロジョニー・アリディ)が、三人の殺し屋を雇う。蛍光灯が青白く明滅する地下道で、アリディの周囲にアンソニー・ウォン、ラム・カートン、ラム・シューというトー映画ではおなじみの面子がふんした殺し屋たちが集うのだが、もうここからして「かっ、かっこいい…」とつぶやかずにおれない。ごみ処理場で4人が拳銃をばんばん撃って自転車を進ませていく場面や、月の翳り具合で視界が左右されるキャンプ場での銃撃戦、また紙くずが舞い上がるごみ処理場で立方体スクラップを転がしながら突き進んでいく銃撃戦など、しびれる演出が続出する。こうやって文章で書くとまったく伝わる気がしないのだが、それは本作の演出が優れて映画的であることの証左ではないか。この映画では、男たちのかけがえのない信頼や仁義がせりふやナレーションではなく細かな表情や身振りで表現されており、今回はこうした登場人物の繊細な内面描写がもっとも成功した作品だとおもう。共闘する4人の男たちは、拳銃を、写真を、酒を、煙草を受け渡していく。このなにげない「受け渡し」の動作に彼ら信頼関係が見て取れるのだ。仇となる3人の殺し屋たちとキャンプ場で遭遇する場面では、仇側の方から飛んできたフリスビーが4人の頭上を旋回し、また仇側の手元に戻ってくる。このあたりの緊張感も見事というほかない。また、トーの映画において、銃撃戦と同じくらい重要な意味をもつ食事のシーンがここでも効果的に扱われている。家族を失った男と彼の復讐を手伝う三人の殺し屋はまず食卓を囲むことによって関係を育んでいくのだ。もくもくと白い湯気が立ち込めるトー映画のご飯はどうしてあんなに美味そうなのだろうか。コステロが3人の殺し屋に、報酬として差し出したのがレストランであるというのもトー映画ならではであるし、そのレストランの名前が「兄弟」というのも泣かせる。終盤、物語は記憶をなくしたコステロの孤独な復讐劇へと展開していく。写真や目印を頼りに復讐に駆られる男をみれば、「なんだまた『メメント』か」という気がしなくもないが、個人的にはこうした展開により、作品が従来のホモソーシャル劇に収まらない傑作になったとおもう。いやまじ最高でした。