Devil's Own

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『くまのプーさん』(スティーヴン・J・アンダーソン、ドン・ホール)

"Winnie the Pooh"2011/US

 会社帰りの森ガールに交じり『くまのプーさん』を見てきたわけだが、あまりにドラッギーな映像の連続に恍惚状態で劇場を出た。目がとろんとしきった相当やばい顔になっていたとおもう。森ガールたちも同じように思考停止しきった顔をしていたのでたぶん声をかければすぐセックスできたんじゃないですかね。
 1番近い映画はビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』だろうか。こんなエンドルフィン分泌映画を子どもに見せていいものなのか。少なくともジョン・ラセターが主導権を握って以来、シナリオ構成において恐るべきクオリティを維持してきた近年のディズニー映画の傾向はまったくの無視である。『プーさんとはちみつ』や『クリストファー・ロビンを探せ!』など過去のエピソードを断片的に再構成しているが、その行き当たりばったりぶりは確実にエスカレートしている。私の6歳の妹ですら「おもしろかったけど『クリストファー・ロビン〜』のほうがうえだね」と言っていた。確かに構成的なウェルメイドさにおいては『クリストファー・ロビン』の足元にも及ばない。しかし、そもそも『くまのプーさん』にシナリオ上の整合性を求めるべきなのかどうか。だいいちプーさんを始め100エーカーの森には狂人しか住んでいないのだ。変につじつま合わせをして『アリス・イン・ワンダーランド』のような映画にされては逆に困るというものだ。お腹を空かせたプーさんがハチミツの妄想にとりつかれてしまう場面の楽しさはどうだろう。この脳みそがとろけていくような快楽に抗うすべを私は知らない。なんなんだこの気持ちよさに特化した映像は。
 随所に施されたメタ的な演出もふくめて、どこかアニメを見る快楽そのものに言及しているようにもおもう。思えば最初期にウォルトが手掛けたオズワルド・ザ・ラッキー・ラビットやミッキーマウスの短編映画はどれもただ絵が動いているだけのプリミティブな快楽が横溢していた。ウォルトディズニー生誕110周年記念映画と銘打たれているだけあり、ストレートすぎるほどにウォルトへのオマージュを捧げた作品になっているとおもう。
 吹き替えの上映しかなかったのだが、オリジナル版はズーイー・デシャネルが挿入歌を歌っているのだそうだ。どこまで快楽主義的な映画なんだ。Honey is the drug!もうどうにでもしてー。

余白

最近会社近くのシネコンのチケット販売が自動化されてしまって、かえって時間がかかるものだから結構いらいらしているのだが、「『くまのプーさん』大人一枚ください」と言わずにすんだのにはすこし感謝している。