Devil's Own

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『オズ はじまりの戦い』(サム・ライミ)

"Oz:The Great and Powerful"US/2013

 映画化作品もコアなファンを持っている物語の外伝(前日/後日談)を、一流監督を雇い入れてファンタジー大作として製作する。既に指摘されているように、数年前の『アリス・イン・ワンダーランド』と似た企画である。問題はビジュアルではなく物語の本質的な魅力をどれだけ正確につかんで、今にふさわしいかたちでアップデートできるかだとおもうんです。それができていれば、ビジュアルが違っていても私は楽しめる。『アリス・イン・ワンダーランド』については公開時にも書いたが、「意味から離れた世界」という持ち味をまったく無視して「成長」(しかも単なるビジネス上のテクニックでしかない)という意味づけをした時点で失格だったとおもいます。サム・ライミの『オズ』は軽薄で女好きに奇術師オズ(ジェームズ・フランコ)がオズの国の偉大なる魔法使いになるまでを描いた前日譚、となっている。その是非はともかくとして、ヒーローに祭り上げられた凡人が本当の正義に目覚めていく・・・という物語じたいは悪くない。『サボテン・ブラザーズ』、『バグズ・ライフ』、『ギャラクシー・クエスト』…どれもおもしろいですよね。
 『オズの魔法使(い)』の魅力とはなんだろう。偉大な魔法使いオズの正体はひょうきんで気立てのいい平凡なおっさんだった、という結末自体が重要なメッセージにもなっている。脳がほしいかかし、ハートがほしいブリキのきこり、勇気がほしいライオン・・・彼らは自分がほしがっていたものを初めからちゃんと持っていた。この「初めから持っていた」というのがポイントです。かかしが機転を利かせて意地悪な木からりんごを奪う、ケシの花でドロシーが眠ってしまってティンマンが泣きだす、こわいこわいと言いながらライオンがドロシーのために奮闘する・・・これらの場面を通して観客はキャラクターたちが持っている美点に気がつく。気づいていないのは本人だけなのだ。だからこそオズの「贈りもの」には胸をうたれる。平凡なおっさんにはただの「シンボル」しか与えられない。だけどその品々は彼らの心をどんなに励ましてくれるだろう。「やっぱりオズは偉大な魔法使いやー(´;ω;`)ブワッ 」となるわけですよ。
 そんなオズの青年期を描くのであれば、自分は平凡だとおもっていた人間が自分の中に初めから持っていた「偉大さ(=善意)」に気付く物語となるだろう。でも劇中でオズに初めから「偉大さ」の資質があったという描写がいまひとつ弱いんですよね。ずっと魔女たちとちゅっちゅちゅっちゅしていただけにしか見えない。そもそも偉大なオズがグリンダともセオドアとも関係を持つというのはやはりどうも・・・。というより西の魔女ちゃんがダークサイドに堕ちた原因がオズとの失恋っていうのはどうなのか。
 あまり比べるのもなとはおもうが『オズの魔法使』を見ていて驚くのは、監督が意図しなかったいろいろなものがたくさん映ってることなんです。オズの国の実在感や豊かさにつながっている。今回のオズの世界はCGだから基本的に意図しないものは映りえない。だからなにかとてもよそよそしくて空虚な世界のように見えてしまうのだった。陶器の少女はかわいかった。あれはほしい。アメリカではもう一本『Dorothy of Oz』というCGアニメ映画が控えていますね。見た感じディズニーの85年作『Return to Oz』(DVD化を!)の基になったボームによる続編を映像化しているようだが、日本で公開されるのだろうか。