Devil's Own

cinema, music, book, trash and so on...

ガールとガンの美的バランス

 色々見てました。
「ドミノ」監督:トニー・スコット(VHS)*1
ヒストリー・オブ・バイオレンス」監督:デイヴィッド・クローネンバーグ(DVD)*2
サイドカーに犬」監督:根岸吉太郎アミューズCQN
「柔らかい肌」監督:フランソワ・トリュフォーシネマヴェーラ渋谷
「大人は判ってくれない」監督:フランソワ・トリュフォーシネマヴェーラ渋谷
「セーラー服とマシンガン」監督:トシオウ(DVD)
 日曜は本当に一日中眠っていて、夕方に起きた。急に料理が作りたくなり、豚肉が安かったので角煮とビーンズトマトスープを作って食べる。一緒に食してくれる人間がいないのは寂しいなぁとか思ってるうちに、なし崩し的に10時頃にまたうとうと眠りこみ、気付いたら深夜1時になっていた。よく眠れるなと感心もするが、睡眠時間がまた不規則になってきているのがいけない。さすがにもう眠れずに、先日100円購入したVHS「ドミノ」を見て、やっぱりトニー・スコット特有のパンワークが苦手なのかもしれないと感じる。適度なノイズエフェクトのB級なムードはよいのだけれど、長時間見ているのが少し辛い。キーラ・ナイトレイが美しいのはよい。トニー・スコット評価に関しては色々と不満のある方もいるようだが、ハスミンが褒めて皆が見るならいいではないかと思う。そんなこと言ったらヌーヴェルヴァーグのストラテジーなど成立しなくと思うし。それでも鑑賞後はやっぱりテンション上がりまくりで、もっともっと美しく華麗なバイオレンスが見たくなり、北野映画しかないと思い、ツタヤへ行く。近所のツタヤは24時間営業で助かる。「その男、凶暴につき」がなく、「ソナチネ」は先日見たばかりだったので、予定を変更し、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を見ることにした。半額なのでその他「ゾディアック」関連で見返したかった「ダーティハリー」、なんだかんだで見逃していた「キングス&クイーン」、久々にブログを更新されたことだしと柚木ティナのAV「セーラー服とマシンガン」を借りた。ジャケットが物凄い可愛くて、マシンガンさえあれば柚木ティナ薬師丸ひろ子キーラ・ナイトレイも同様に美しいぜと乱暴に思う。帰宅して早速見た「ヒストリー・オブ・バイオレンス」は、二度目だったが、初見よりもずっと面白いと感じた。これはもう焼いておこうと思う。
 見終わると大体朝8時くらいでシリアル食らって渋谷へ行った。
CQNで根岸吉太郎の「サイドカーに犬」を観る。軽い気持ちで見たのだけれど、これが非常に心地良い秀作で、序盤はミムラ*3の説明過多なナレーションが五月蝿くてまずいなぁと思っていたけれど、ミムラの回想に入ってからはナレーションも鳴りを潜め、更に竹内結子*4が登場してからは俄然よくなった。というより竹内結子が最高にキュートで、この映画の9割9分9厘が竹内結子で出来ている。初登場の「オッス」が物凄い破壊力で、なんで惚れているのかちっとも理解できない古田新太に飛びつくところも非常に説得力があり惹き付けられる。この映画のあと1厘の魅力は根岸の手堅い移動撮影かと思う、こちらも最初のほうは動きすぎだと思ったけれどだんだんとペースに呑まれる。なんだかんだで、もう一度見たいと思った。
 その後、カウリスマキトリュフォーで4秒くらい迷ったが、2本800円という圧倒的魅力に負けてトリュフォーを選んでしまった。「柔らかい肌」は二度目、「大人は判ってくれない」は通算5度目で劇場では二度目だったけど、すごく楽しかった。「柔らかい肌」は相変わらず可笑しかったが、撮影がラウル・クタールだと気いて更に面白く見た。「大人は判ってくれない」を前に劇場で見たときはその時の彼女とだったなぁとかしょうもないことを思い出した。最初に触れたトリュフォー作品ということもあって思い入れのある映画だが、僕が感情移入するのは主人公のドワネルよりもむしろブルジョアジーな悪友の方で、友達を悪事を入れ知恵したり、その根回したりと、イニシアチブを握っているのは常に僕だったが、上手く大人を目を逃れていた。結局鑑別所のような寮学校に入ったのは僕の方だったけれど、地元に残ったドワネル君達は僕のこと酷く怨んでいるらしいので、すっかり引きこもりのチキンと化した僕は成人式にも出られなかった。映画は、ドワネルが警察に補導されるくらいからが間延びしているような印象をいつも持つのだが、何回見ても必要性ないカットとかが見つからないし、だから何回も見てしまうのかなと思う。ところで今回のトリュフォー特集はなんだかんだでいつもよりプログラムが少ないためか、上映ルーチンが変則的で予定が組みづらい。しかも予定上どうしても「夜霧の恋人たち」が見られそうにないので絶望に打ちひしがれている。
帰宅して夕食に焼きそばを作って食べてから、バイトへ出かけた。途中で大きな無印の袋を下げたサークルの女子に会った。
 帰宅後、飼っているハムスターが脱走していて焦った。が、探すと呆気なく発見した。ティナのビデオを少し見たけど、やる気のないスタッフ、やる気のない男優達の茶番劇の中、ティナだけが健気にに役に取り組んでいる愛すべき作品で、正直ティナは顔も体型も全く好みではないので、ポルノとしてはあんまりなのだけど、映画なりVシネなりは見たいと思った。
 そんなことは置いとくにしても、今日は「ドミノ」「ヒストリーオブバイオレンス」「柔らかい肌」「セーラー服とマシンガン」と、ショットガンやライフルを抱えた女性のの登場する映像を期せずして4本も見たことになる。  女性と武器というコンセプトについては、日本刀についてはいろいろと戯れ事を申し立てたことがあったが、銃器に関してはなかった。この組み合わせ自体は多分多くの人を惹き付けてやまないのか、銃器は男性器のメタファーでそれを手にしたことでアンドロジニーと化した女性の万能性だとか、柔和で曲線的な女性の肉体的イメージと、銃器の冷たく硬質な物理的性質のアンバランスの妙とか、思い付きでもそれなりに実感の持てる解釈が可能だが、何より銃器というより武器が有する女性の闘争心の象徴としての説得力がでかい。僕は元来ファムファタール的女性観に惹かれる人間なので、別に女性は元々男性など軽く凌駕するだけの猟奇性を持っていると思っているが、その猟奇性の表現技法は極めて少ないと感じている。だからといって、その表現として彼女達に銃器を持たせるのはあまりに安直過ぎるのかとも思える。劇画的な怒りの表現は数あるが、武器というものは女性と組み合わすことで初めて「怒り」の記号と化すことができる特権的なモノで、男性が武器を持っていても特に感情的なシニフィエを表現することはできない。それはステレオタイプなジェンダー観なのかもしれないけれど。女性の闘争心は美しく、恐ろしい。だからしゴダールがなんと言おうと、僕は「キル・ビル」の方が「VIRSUS」よりも数百倍魅力的だと思う。

*1:

ドミノ [DVD]

ドミノ [DVD]

*2:

ヒストリー・オブ・バイオレンス [DVD]

ヒストリー・オブ・バイオレンス [DVD]

*3:すげー久々見た。

*4:こちらも久々だね。