Devil's Own

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ねないこだれだ

ねないこだれだ (いやだいやだの絵本)

ねないこだれだ (いやだいやだの絵本)

 今一番楽しみな映画が『トウキョウソナタ』じゃなくて『大決戦!超ウルトラ8兄弟』な僕は永遠の3歳児なんだけど、僕には本当に3歳の妹がいて今は実家に帰っているので当然そういうノスタルジックな世界に触れる機会も多くなるわけだ。それで、この630円の絵本を見つけて懐かしい気持ちで読み返していたのだが、ねないこがおばけに連れ去られてしまうという結末に今更ながら驚いた。ティム・バートンの映画じゃないか、とも思った。ねないこ(お化けになってしまっている)の手を引いたおばけのシルエットが夜空に浮かぶラストページは確かに鮮明に覚えている。子どもにとって「許しのない罰」ほど恐ろしいものはない。悪いことをすれば押入れにいれられるが、いつか必ず出してもらえるわけで即ちそこには「許し」がある。だけど、この絵本で、連れ去られた子どもがおばけの世界から帰ってこれるかどうかは語られていない。ここにオトナたちの優しくて狡猾な思惑を感じる。僕は想像力豊かな・・てか大層怖がりな子どもだったので、連れ去られた子どもがその後どうなったのか、何度も何度も母親に尋ねたものだ。ねないこの行く末は、パンを踏んだ娘インゲルのその後と同じように僕にとって気になり続けるものだった。
 ねないこの行く末に戦慄する一方、おばけの世界に連れて去られるという想像にも魅かれたものだ。おばけ、ふくろう、くろねこ、どろぼう・・せなけいこのラフで愛らしい切り絵で表現された「夜の住人たち」は甘い死の匂いを伴って幼い僕を誘惑した。恐怖って、ファンタジーが幼い子を惹き付ける条件として重要なファクターであり、その筆頭として挙げることができるのが「微かな死の匂い」と「両親との別離」だと思うのだがどうだろうか。『ふしぎの国のアリス』、『となりのトトロ』、『ネバーエンディング・ストーリー』。この3本は、僕が幼少時に特に好んで繰り返し見ていた子ども映画だが、よくよく考えるとこの3本には先述した二つの要素が巧みに織り交ぜられている。死の匂いは希薄だが、『崖の上のポニョ』にも後者のイメージはより暗示的に、より色濃く刻み付けられていて、宮崎駿変わってないなぁと感心した。ハリウッドで未だそれを実践し続けているのはやはりティム・バートンだと思うが、そういうわけで彼が監督する『不思議の国のアリス』はまだ見ぬ僕の子どもにとって重要なものになるだろう、と期待している。