Devil's Own

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『アウトレイジ』

 
 北野武久々のバイオレンス映画に期待する一方、男たちの顔が画面いっぱいに映し出され「バカヤローコノヤロー」と叫んでばかりいる予告編を見て不安もあった。結論からいえば、原点回帰にとどまらず新しいフェーズに突入した快作といえそうだ。水道橋博士が本作を「21世紀北野武の最高傑作」と評したときは、なんか言い訳めいてるというか、オトナの事情だなと感じたものだが、実際見てみるとこうした表現も頷ける。確かに、『アウトレイジ』において、「北野武的な」演出は驚くほど抑えられているのだ。映画が決定的に走り出す序盤での罵り合い(カッターナイフで指を詰めるだの詰めないだの)はどうだろう。テンポのいい顔面のカットバックと口汚いせりふの応酬によって緊張が高まっていき、張り詰めた空気を文字通り切り裂くビートたけしのアクションによって、物語が転がりだす。カッターナイフという日常的かつ場違いな小道具を用いながら、思わぬ方向へと事態がエスカレートしていく一連の流れは見事というほかない。完成された漫才かコントを見ているような気にさせられるが、基本的に「引き算」の演出を得意とする北野作品において、今回の手法はむしろ異色なのではないか。バイオレンス描写にしても、『その男、凶暴につき』での執拗な平手打ちのように当事者的な鈍い痛覚を伴うものより見世物としての要素が強い。歯科医院での拷問やラーメン屋での指切りなどそれなりの痛みを伴うが、そこには第三者的な距離感があり笑いを誘う。『アウトレイジ』の暴力は、息を殺して見つめるよりも思わず拍手したり指笛を鳴らしてしまいたくなるほどのスペクタクル性があり、ジャッロやホラーを見ている感覚に近いのだ。
 そのほかに北野作品の特徴として、ホモソーシャリズムタナトス(死への欲望)を含めた独特の感傷性が挙げられるとおもう。こうした感傷性は久石譲の音楽に拠るところも大きかったとおもうが、『アウトレイジ』はそこからはっきりと決別している*1。「ノイズ」に徹するように注文を受けたという鈴木慶一の音楽にもしびれるが、まるで犬のようにみっともなく死んでいく『アウトレイジ』の男たちには一ミリの感傷も入り込む余地がない。わけても終盤で演じられる、椎名結平の死に様は、それまで意識的に禁じられていたいかにも「北野的な」画面が唐突に蘇生することで、より無様さと惨めさを浮き立たせる。
 北野自身が「ゴダール病」と揶揄してみせた自己言及三部作(『TAKESHIS'』『監督ばんざい!』『アキレスと亀』)も私個人は楽しめたりもしたが、『アウトレイジ』において「役者・ビートたけし」はひとまず映画を推進させる駒のひとつに収まっている。特定のキャラクターに意識が向かないように注意した、という北野の狙いどおり、『アウトレイジ』は複数の政治と力学が衝突し、野合するスリリングな群像劇になっており、ほとんど戦争映画とすらいえるのではないか。見かけだけ豪華なキャストを並べてればそれで映画になるとおもってるテレビ屋さん、これが本当の群像劇だぞバカヤローぶち殺すぞコノヤロー!!

*1:はっきりいうと私は『ソナチネ』や『キッズ・リターン』ですら久石譲の音楽が瑕疵となっていたとおもう。彼の音楽は饒舌過ぎて北野の引き算演出にもともと合わないのでは…あくまで好みですが。なので初期作で北野の真骨頂だとおもうのは『3-4x10月』。