Devil's Own

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『ロボゲイシャ』


 とても楽しみにしていた井口昇の新作。ゲイシャ、ハラキリ、エビフライといった「逆輸入ギャグ」が前作以上に押し出され、井口独特のユーモア感覚はスプラッタ的な視覚表現よりむしろ台詞まわしのほうに比重が置かれるようになった。荒唐無稽な展開の中でも陰鬱なテーマ性をきっちりと描きこんでいた『片腕マシンガール』と比べ、今回は明らかに「量」の映画であり、それぞれメインディッシュとして独立した料理をいっぺんに食べているかのようなボリューム感がある。『マシンガール』は弟を奪われた女子高生のストレートな復讐譚を主軸としており、あくまでもそのアウトラインのうえに小ネタを重ねていたが、おそらく本作は小ネタのアイデアが先行していており、そこからプロットを構成していったのではないか。それゆえに、井口作品の難点でもある単調なカメラワークもあいまってストーリーが停滞しがちだった。殺人芸者として改造された姉妹の確執を中心には置きつつも、物語の焦点は常に右往左往し定まりきらない。おそらく井口はどのキャラクターも、どの場面も好きで好きでたまらなかったのだろう。映画全体の印象はとても薄いが、ひとつひとつのシークエンスからは作り手の溢れんばかりの愛情が伝わってくる。コンピレーションアルバムを聴くような感覚で、「あのシーンのあのせりふがよかった」と演繹的に評価していくのが一番しっくりくるのではないか。三隅研次的な血みどろの時代劇アクションにルーズソックスの女子高生暗殺団を登場させようなんてすばらし過ぎる発想はいったいどこから生まれたのだろう。正直この世界観だけで作られた映画を見てみたいものだ。また、「城ロボット」の計算されたチープさはどうだろうか。70年代に量産された低予算特撮ドラマのハッタリ感をあそこまで正確に再現した例を僕は知らない。フォルムはキングジョー(円谷)でも、描き方はあくまでもキングダーク(石ノ森)であるところに井口の徹底したこだわりを感じる。男の子を喜ばせる娯楽映画20本分くらいのアイデアがこれでもかと詰め込まれた瓦解寸前の怪作。