Devil's Own

cinema, music, book, trash and so on...

覚書(『フライト』『シュガー・ラッシュ』『リンカーン』など)

 月に最低1回は更新を目指しているが、結局4月はそんな余裕もなかった。昨年も4月だけぽっかり空いていたのでそんなものかともおもう。へたくそなりにも文章で飯を食うようになって3年目になる。だんだんと文章を書くことが恥ずかしくなってきた。文章を書くと恥をかくことは同義だという人がいて、まったくそのとおりだと思った。このブログに書いている文章など読み返していると、なんて押し付けがましく鬱陶しいんだろうとすべて消したくなる。とかいって消しませんが。書く時間はなかったが、3、4月に見た映画はどれもおもしろく豊作だったので忘れないうちに書いておきたい。書きませんでしたが日本映画も『舟を編む』『藁の盾』『探偵はBARにいる2』いずれも楽しめました。

『フライト』(ロバート・ゼメキス

"Flight"US/2012

 もうずいぶん昔に見たのでさらっとしか書けないけど、ことし一番語りがいのある映画といえそう。ソフトで見返したらまたじっくり書きたい。既にすぐれた論考がいくつも出ているのだが、航空パニック的な活劇は冒頭40分ほどで終息(その部分もやはりよくできているし手に汗握る)。そこから先は『失われた週末』になるのだが、アルコールや薬物依存症の恐怖を教条的に説くわけでもない。むしろドラッグ、アルコールがいかに楽しいかを景気のいいロックンロールをBGMに描いていく。ジョン・グッドマンふんするコカインの売人が登場するときにはストーンズの『悪魔を憐れむ歌』が、主人公と同じ問題を抱えた女性(ケリー・ライリー)と初めて愛し合う場面にはマーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』が流れるなど要所要所で音楽がストーリーテリングの鍵を握る。極め付きは主人公がコカインをキメて証人喚問に向かうとき、エレベーターで流れる『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』だろう。本国では爆笑だったのではないか。ドラッグを糧に花開いていったポップミュージックが主人公の享楽を雄弁に語っている。この映画を語る上でもうひとつ重要なテーマが宗教ということになるとおもうが、このあたりはもう2回くらい見て考えたいです。

シュガー・ラッシュ』(リッチ・ムーア)

"Wreck-It Ralph"US/2012

私の家庭にはゲームがなかった。人生で私が触れたゲームといえば、父親が何かの景品で持ち帰ってきたちっちゃなテトリスのゲーム機と友達の家でやった「ロックマン」と「ストⅡ」と「スーパードンキーコング」くらいである。小学生のいとこたちがうちに遊びに来ると数人で集まってそれぞれに携帯ゲームに没頭している。いくらなんでもこれは不健全じゃないのか…と私が非難がましく口にすると(鬱陶しいお兄さんである)、いとこたちの親は決まって「最近の子はゲームがないと友達についていけないから」というエクスキューズを口にする。そんなわけないだろう、とおもう。ゲームを持っていても友達ができないやつはできないんじゃないか。そんなゲーム弱者の私だが、『シュガー・ラッシュ』はとても楽しめた。でもきっと私がゲームにもっと親しんでいればもっと楽しかっただろうなとおもう。私は人生で初めてゲームが家になかったことを残念に思ったのだった。魅力的なキャラクターと世界観、練りに練られたシナリオでこれぞディズニーアニメというべき作品。今後、ディズニーは誰にでも楽しめるウェルメイドな作品群を、ピクサーではフルCGアニメの可能性を模索する実験作を、と差別化していくのだろうか。世界観やストーリーにおいてはピクサー的な作品と見せかけて、終盤に伝統的なプリンセスものに変化していく構成には舌を巻いた。主人公ラルフの心情変化などところどころ雑かなとおもえるところもなきにしもあらずだが、傑作といっていいだろう。

世界にひとつのプレイブック』(デヴィッド・O・ラッセル)

"Silver Linnings Playbook"US/2012

 前作と合わせてラッセル監督のリハビリ2部作ということになるのだろうか。『ザ・ファイター』のオープニングと『プレイブック』のエンディングは、向き合う主人公2人をとらえたカメラが一挙にドリーバックしていく撮影法で呼応しており、視覚的な円環構造にもなっている。単に手癖なのかもしれないが。『プレイブック』のドリーバックは文字どおりふたりが恋に「落ちる」様子を可視化していて、陶酔のあまり涙が出た。ちなみにドリーバックが印象的な作品で、私が真っ先に連想するのはギャンブル狂いのカップルを描いたジャック・ドゥミ監督の『天使の入江』だったりする。関係があるかはわからないが。主人公二人のロマンスを描き方が雑だという評を見かけたがいったい何を見ているのか。アメリカ映画においてダンスというのはほとんど恋と同義語。ダンスコンテストがクライマックスに置かれた時点でふたりは恋に向かっていたのである。

『ジャンゴ 繋がれざる者』(クエンティン・タランティーノ

"Django Unchained"US/2012

 タランティーノアカデミー賞とか獲るようになって、すっかりメーンストリームというか、実際にどんどん巧い監督になっているんだとはおもうのですが、それでも見た後にはいつもスカッとさせてくれるのがいいですね。誰が見ても「きのう超おもしろい映画見てさあ」って言えるような。今回もアクションも音楽も冴え渡っていていっときも飽きることなく見ることができた。マカロニウェスタンとかブラックスプロイテーションとか『マンディンゴ』とかの映画史的な文脈の話はほかの方々にお任せして、私は悪者がどかんと爆発するときの射精感に身を任せようとおもう。

『ザ・マスター』(ポール・トーマス・アンダーソン

"The Master"US/2012

『ザ・マスター』を見てから一月以上経ったが、まだこの映画のことがよくわからない。この映画のホアキン・フェニックスを見て、同じ職場で働いていたMさんのことを思い出した。映画のことはわからないのでその人のことを書く。Mさんは情緒不安定でニヤニヤしているかとおもえば唐突にキレ始めるような人だった。以前は私の部署にいたらしいがあまりに問題を起こすので異動になったのだと聞いた。私も入社当初はたびたび因縁をつけられたいじめられたが、そのうち本や映画の話をするようになった。変わり者だという認識は変わらなかったが、無難な人と無難な会話をするよりも、Mさんの毒づきを聞いている方がおもしろいし気が楽だともおもっていた。ある日Mさんが私の上司に不当な言い掛かりを付け始め、激しい言い争いをしたあげく、帰ってしまうという事件が起きた。どう考えてもMさんに非があった。『ザ・マスター』ではデパートでカメラマンをしているホアキンがニヤニヤしながら客に嫌がらせをする場面があるが、ちょうどあんな感じだった。それからしばらくしてMさんは会社をやめてしまった。忘れたころにMさんから自宅にはがきがきた。五島の草原の写真に「つまらなくも真剣な話、たのしかったです」とだけ書き添えられていた。私はそのはがきを大事にするでもなく、ぞんざいにするでもなく、なんとなく机の引き出しにしまった。しばらくして職場でMさんの話になり、はがきが来た話をすると、みんなが驚いた。はがきが来ていたのは私だけだった。「おまえやばいな!親友やん!」とからかわれ、私は「いやいやいや」と笑いながら返した。返しながらもはがきの話を黙っていればよかったとおもった。帰宅してMさんのはがきをもう一度見て『ザ・マスター』のパンフレットにはさんだ。そこがいちばんしっくりするような気がした。『ザ・マスター』のことを考えパンフを読み返すたびに、彼のことを思い出すだろうから。

リンカーン』(スティーブン・スピルバーグ

"Lincoln"2012/US

 最後の最後まで政治的な思惑に翻弄された『アルゴ』の悪運もそれはそれで興味深かったが、この作品がオスカーを獲っていればオバマ夫人がプレゼンターでも誰も文句は言わなかったはずなのだ。ゲティスバーグ演説奴隷解放宣言、暗殺といった「劇的な瞬間」は徹底してカメラの外に排除された。本来ならスピルバーグの真骨頂が発揮されるはずの南北戦争の場面すら冒頭、申し訳程度に描かれたきり(しかもぬるい)である。リンカーンと息子(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)の関係もこれまでのスピルバーグが執拗に描いてきた父子のテーマに比べて随分と薄味である。ではこの作品は、退屈で眠い映画なのか。そんなことはない。ひたすらに地味で泥くさいリンカーンの「根回し」がなんと尊く美しいことか。トミー・リー・ジョーンズ演じる急進派スティーブンスの「妥協」のなんと誇り高いことか。「平和の対義語は戦争ではない。正義なのだ」という人に会ったことがある。多数決でひとつの正義を選ぶことを私たちはいつから民主主義とよぶようになったのか。まったく相容れることのできない、絶対に許すこともできそうにない「正義」が世の中にあふれている。互いの正義を検証し、互いに諦めながらぎりぎりの接点を見つけることによってしか平和は得られないのではないか。私たちの国では妥協を諦め、楽をしてしまおうという憲法の改正案が上がっている。『リンカーン』は現代の映画なのだ。

アイアンマン3』(シェーン・ブラック

"Iron Man 3"2013/US

最後までわりと楽しんで観たがときめきもなかったですね。私はアイアンマンスーツでは『2』のマークVがいちばん好きで、マークVのシーンだけ何回も見てしまう。ウィップラッシュに襲撃されたトニーにペッパーとハッピーがスーツケース型のマークVを渡そうとするんだけどパニックでうまくいかないんだよ。3人の掛け合いがとにかくほほえましい。そのあとスーツを着るところもかっこいいし、ウィップラッシュのムチにつかまってビリビリとなるところもかっこいい。あのシーンに私が好きなアイアンマンのすべてが詰まっている。だからオートコントロールのアイアンマンがたくさん出てくるのにはあまり興味ないのかもしれない。もっとペッパーやハッピーとの絶妙な掛け合いが観たかったですね。結局いちばんテンション上がったのはエンドクレジット後のおまけと『ソー』続編の予告でした。特に『ソー』の予告には尋常じゃないくらいにやついてしまい、自分がクリス・ヘイムワースとナタリー・ポートマンのカップリングがかなり好きなんだと気づいた。関係ないけどスマートフォンのアプリで『アイアンマン3』のゲームアプリがあって、無料なんですけどめっちゃおもしろいですよ。

ムーンライズ・キングダム』(ウェス・アンダーソン

"Moonrise Kingdom"2012/US

 人形アニメーションで制作した前作を経て、ウェス・アンダーソンの映画はますます箱庭的な性格を強めた。ドールハウスのようなセットと紙芝居のような構図の中で俳優たちがまるで人形のようにちゃかちゃかと動く。不健全とすらいえるほど純化されたファンタジー世界が、自閉した少年少女のモラトリアムに一致している。これでいいのか…と疑いつつも抗えない。このエントリに書いた映画はどれも完成度が高く年間ベスト級の作品だとおもうが私はどうしてもこの箱庭世界に惹かれてしまうのだった。まあ萌えみたいなものなんでしょうか。

『映画ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』(寺本幸代)

"Draemon:Nobita In The Secret Gadgets Museum"2013/JP

 評判のいいドラえもん映画最新作。このブログに全作品レビューを載せたのももう2年以上前になる。当時の私が全作品を観るうえで気をつけたのは、全作品なるべく分け隔てなく評価しようという点だった。一般的にドラえもん映画で評価が高いのは藤子・F・不二雄先生が原作を手がけた作品群だとおもう。それらの作品がすばらしいクオリティであることに異論はないが、だからといってF先生の死後に生まれた作品やキャストリニューアル後の作品を原理主義的に貶めることだけはしたくないと。『恐竜』と『恐竜2006』は圧倒的に前者が優れている…と書いてはいるが、それはキャストがダメだからというのではなく演出、作劇上の問題を根拠とした評価だ。読んでもらえればわかるとおもう。2006年にキャスト、スタッフがリニューアルされてすでに8作目。「わさドラ世代」も成長しオピニオンを獲得し始めるころ。そろそろ「のぶドラ原理主義」の論調にうんざりしているかもしれない。私は「保護者」ではない(そして原作のキャラクターに近い)水田わさびドラえもんにも独自の魅力があるとおもっている。が、これといった代表作がなく歯がゆい気持ちだった。長年監督を務めてきた芝山努の降板も大きいと思う。だから「わさドラ世代」最初の傑作の誕生を素直に喜びたい。
 ここ数年、旧作リメークとオリジナルを交互に製作していたが、今回は久々に2年連続のオリジナル作品。スケール感に乏しい『奇跡の島』に続き、今回の舞台は『ひみつ道具博物館』と聞いたときは正直期待していなかった。やっぱりドラえもん映画にはワクワクしてちょっと得体の知れない世界を見せてほしいわけです。しかし今回はこの限られた舞台設定が功を奏した。まあ、スケールは小さいのは確かなんですけどね。しかし「のぶドラ」を意識しするあまり、風呂敷を広げすぎてストーリーが瓦解してしまうのがこれまでのわさドラ映画の欠点だったとおもうんですよね(その瓦解ぶりがほとんど前衛の域にまで達してしまったのが怪作『緑の巨人伝』である)。ドラえもんをめぐるミステリー仕立てのストーリーにひみつ道具の小ネタをちりばめ、のび太ドラえもんの関係性に着地させる。ほんとに小さな物語だけど意外と今までおろそかにされがちだった部分ではなかったか。ようやくわさドラ世代の『恐竜』にたどり着いた気がしますね。もう今後はオリジナルでいいよ、ともおもうが来年は『大魔境』リメークなのだそうだ。ふむ。

『オズ はじまりの戦い』(サム・ライミ)

"Oz:The Great and Powerful"US/2013

 映画化作品もコアなファンを持っている物語の外伝(前日/後日談)を、一流監督を雇い入れてファンタジー大作として製作する。既に指摘されているように、数年前の『アリス・イン・ワンダーランド』と似た企画である。問題はビジュアルではなく物語の本質的な魅力をどれだけ正確につかんで、今にふさわしいかたちでアップデートできるかだとおもうんです。それができていれば、ビジュアルが違っていても私は楽しめる。『アリス・イン・ワンダーランド』については公開時にも書いたが、「意味から離れた世界」という持ち味をまったく無視して「成長」(しかも単なるビジネス上のテクニックでしかない)という意味づけをした時点で失格だったとおもいます。サム・ライミの『オズ』は軽薄で女好きに奇術師オズ(ジェームズ・フランコ)がオズの国の偉大なる魔法使いになるまでを描いた前日譚、となっている。その是非はともかくとして、ヒーローに祭り上げられた凡人が本当の正義に目覚めていく・・・という物語じたいは悪くない。『サボテン・ブラザーズ』、『バグズ・ライフ』、『ギャラクシー・クエスト』…どれもおもしろいですよね。
 『オズの魔法使(い)』の魅力とはなんだろう。偉大な魔法使いオズの正体はひょうきんで気立てのいい平凡なおっさんだった、という結末自体が重要なメッセージにもなっている。脳がほしいかかし、ハートがほしいブリキのきこり、勇気がほしいライオン・・・彼らは自分がほしがっていたものを初めからちゃんと持っていた。この「初めから持っていた」というのがポイントです。かかしが機転を利かせて意地悪な木からりんごを奪う、ケシの花でドロシーが眠ってしまってティンマンが泣きだす、こわいこわいと言いながらライオンがドロシーのために奮闘する・・・これらの場面を通して観客はキャラクターたちが持っている美点に気がつく。気づいていないのは本人だけなのだ。だからこそオズの「贈りもの」には胸をうたれる。平凡なおっさんにはただの「シンボル」しか与えられない。だけどその品々は彼らの心をどんなに励ましてくれるだろう。「やっぱりオズは偉大な魔法使いやー(´;ω;`)ブワッ 」となるわけですよ。
 そんなオズの青年期を描くのであれば、自分は平凡だとおもっていた人間が自分の中に初めから持っていた「偉大さ(=善意)」に気付く物語となるだろう。でも劇中でオズに初めから「偉大さ」の資質があったという描写がいまひとつ弱いんですよね。ずっと魔女たちとちゅっちゅちゅっちゅしていただけにしか見えない。そもそも偉大なオズがグリンダともセオドアとも関係を持つというのはやはりどうも・・・。というより西の魔女ちゃんがダークサイドに堕ちた原因がオズとの失恋っていうのはどうなのか。
 あまり比べるのもなとはおもうが『オズの魔法使』を見ていて驚くのは、監督が意図しなかったいろいろなものがたくさん映ってることなんです。オズの国の実在感や豊かさにつながっている。今回のオズの世界はCGだから基本的に意図しないものは映りえない。だからなにかとてもよそよそしくて空虚な世界のように見えてしまうのだった。陶器の少女はかわいかった。あれはほしい。アメリカではもう一本『Dorothy of Oz』というCGアニメ映画が控えていますね。見た感じディズニーの85年作『Return to Oz』(DVD化を!)の基になったボームによる続編を映像化しているようだが、日本で公開されるのだろうか。

『リンク』(リチャード・フランクリン)

"Link"UK/1984

 「ヒッチコック『鳥』のアニマルトレーナーが魅せる」というよくわからない枕ことばが冠せられたイギリス映画。IVCのカルト作掘り起こしシリーズ「VHS発掘隊」のラインアップ。動物パニック好きとしては見逃す手はないと即購入しました。監督のリチャード・フランクリンは『トパーズ』でヒッチコックの下で働いた経験もあり、後に『サイコ2』でメガホンを取るなど、ヒッチコック真の後継者と言われていたそう。DVD解説で中原昌也から「誰に?」と突っ込まれてはいるが、「『鳥』のアニマルトレーナーが魅せる」というキャッチフレーズもあながち的外れでもないのかもとおもえてくる。
 ロンドンの大学に通う主人公(エリザベス・シュー)が、霊長類学の教授(テレンス・スタンプ)を手伝うために人里離れた屋敷を訪れる。そこでは洋服を着て屋敷の執事のように振る舞うチンパンジーのリンクがいた。やがて教授は姿を消し、電話も不通となる。屋敷に孤立してしまった女子大生にリンクは好色な視線を送るのだった。ほぼ全編の舞台となる屋敷の設計がよくできています。階段や天窓、井戸、地下室などを効果的に用いることでスリリングなドラマが展開。人間のように振る舞いながらも結局、異形の者でしかないリンクのキャラクターと結末は『フランケンシュタイン』をほうふつとさせる。ゴシック調の屋敷の美術とあいまって極めて正統派のモンスター映画に仕上がっている。テレンス・スタンプはいかれたサイエンティストを喜々として演じていて、途中退場ながらも強烈な印象。同時期の『グレムリン』と通じるゴールドスミスのハイテンションなスコアもかっこいい。
 まあしかし特筆すべき存在はタイトルロールを演じたオランウータンだろう。劇中ではチンパンジーということにされているが、オランウータンに演じさせたことは正解だったとおもう。シャワーを浴びようとするエリザベス・シューを視姦するねっとりとしたまなざしが不気味だ。ああいう表情はチンパンジーでは出せなかっただろう。エリザベス・シューの脱ぎっぷりももちろん貴重だが、ヒロインが自分の危険をはっきりと認識する重要な場面でもある。というのも動物パニックというジャンル映画の成功は、モチーフとなる動物の「怖さ」をいかに引き出すかに懸かっているとおもうんですね。その意味で『リンク』は成功しているといえる。単なる獰猛性、野蛮性ならほかの動物でもいいわけです。でもサルには知性がある。これがなんとも怖いわけですね。通常の動物パニックだと「食われる」「殺される」恐怖なのが『リンク』の場合はレイプされる恐怖というのも新鮮だった。エリザベス・シューもうら若いのでので観ている側もはらはらします。限られた登場人物、予算、シチュエーションのジャンル映画でも、見せ方でいかようにも面白くなるという典型のような良作でした。

【VHS発掘隊】リンク ~密室アニマルパニックホラー~ [DVD]

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『横道世之介』(沖田修一)

"Yokomichi Yonosuke"2013/JP

 アカデミー賞レース作品の公開ラッシュのさなか、日本映画の傑作がひっそりと公開されている。一部の映画ファンですでに注目を集めている沖田修一監督の最新作。これまでより公開規模も大きいこの作品で誰もが無視できない才能として知られることを期待します。
 まず吉田修一氏の原作がすごい。大学進学のため長崎から上京した平々凡々な青年、横道世之介の1年間を淡々とつづったもの。吉田氏は、2009年4月1日から翌年3月31日という期間で連載依頼を受け、「最も劇的な一年を描こう」と大学生活最初の一年間を選んだという。つまり連載当時の読者は毎朝『横道世之介』を読むことで、文字通り「世之介と同じ一年間」を過ごすことができた、というわけだ。さらに春夏秋冬の季節ごとに、世之介と関わりを持った4人の登場人物のその後も描かれる。何の脈絡もなく文体が変わって困惑するが、読み進めていくうちに「あ、これあの人だ」とわかる構成になっている。新聞連載というメディアを最大限に活用した巧みなプロットとストーリーテリングにうならされる傑作です。そんな作品を沖田修一監督が映画化する、と聞いた時点でなんとなく「勝ったな」と感じていた。沖田監督の、とりわけ同性同士の会話劇に宿る独特のおかしみが原作の持ち味にぴったりはまるとおもったからだ。果たして予想は的中した。
 『横道世之介』は人間賛歌の物語である。吉田氏は『悪人』をはじめ、人間の生々しい悪意を描くとき卓抜した資質を発揮するが、ここでは一人ひとりの人物をユーモラスに愛情たっぷりに描くことに腐心している。平凡な人々の平凡な日々、ありきたりな人々の営みが何物にも代えがたい輝きを放つ。何げないやりとりからにじみ出る人情と機微が、誰の人生にも美しく気高い瞬間があると教えてくれる。読んだ後、世之介が、祥子が、倉持が、加藤が、本当にいるとしか思えない。彼らのことを昔から知っているような気がしてくる。ついつい「この間、世之介がさあ・・・」なんて口にしてしまうかもしれない。
 そんな愛すべき登場人物たちに高良健吾吉高由里子を始めとする俳優たちが命を吹き込んだ。沖田監督は彼らのありきたりな、だからこそかけがえのないやりとりを的確なショットで真空パックしてみせる。相変わらずカットが長くゆったりしているのに、新宿駅の人混みの中に世之介(いかにもあか抜けない高良くんのたたずまい!)が登場した瞬間から映画はいっときも弛緩することはない。むしろ映画内の時間の流れに観客が自然と巻き込まれていく。見ているうちに呼吸や体温が自然と「沖田基準」に合わさっていくんですよね。『横道世之介』に限らず、沖田作品共通の魅力だとおもう。
 近藤龍人の撮影もいつもながらすばらしい。ここのところ藤井勇(照明)とのコンビネーションで『マイ・バック・ページ』、『桐島、部活やめるってよ』など傑作をものにしていますが、本作はベストワークかもしれない。クリスマスのキスシーンやラストの長回しは身もだえするような多幸感だ。そして、35ミリフィルムの質感が泣ける。もう二度と戻ってこない青春の光景ともう二度と見ることができなくなる35ミリフィルムの映像がこれ以上にないくらいマッチしてしまって、「ああ、今、映画を見てる」っていう幸せと、この幸せをいつか忘れてしまう切なさで胸がいっぱいになる。私はこの平凡な幸せを、いったいいくつ忘れてしまうのか。これまでに出会った世之介たちを、これから出会う世之介たちを私はきっと忘れてしまう。思い出すことのできない誰かに会うために、この映画を何度も見返すだろう。
最後に、この映画の公式HPに載っていたみのもんたのコメントを紹介します。

この映画、すべての国会議員に観てもらいたいな。
日本の政治が変わるかもしれない。だって当たり前のことが、
ある日突然、当たり前でなくなったら、どうしたらいいんだろう。
生きるって、生きていることって、何なんだろう。
結構、爽やかな余韻が残る映画だ。

えっと、
それ何の映画ですか?

『アニー』(ジョン・ヒューストン)

"Annie"US/1982

 4月に『アニー』のブルーレイが出る。最近のソニーピクチャーズは廉価盤で特典映像を大幅に削る傾向があるので心配になった私は、一足早く北米盤(日本語字幕も吹き替えも入っている)を購入することにした。結局、国内盤も同じ仕様で出るようだがそれでも北米盤の方が安くつく。特典は目新しいものはなかったが、画質と音質は飛躍的に向上した。そんなわけで、せっかく買った『桐島』のブルーレイも差し置いて、毎日『アニー』ばかり見ている。
 数年前、映画研究者の大久保清朗さんのブログを通してこの映画に出会った。「もうすぐアニーだ。そう思うだけで心が落ちつかなくなってくる」というあられもないラブレターで始まる素敵なエントリー。「階段の映画」という松浦寿輝氏の指摘を基にしたアクション考察に始まり、映画にひそむ奇妙な偽善性、政治性にまで踏み込む。無料で読むにはちょっと忍びないくらいぜいたくな論考となっている。セロテープで補強したパンフレットの表紙画像が添えられていて、幼稚な表現だが、氏と映画の間に簡単には立ち入ることができない「きずな」を感じたものだ。当時の私は、氏が別のサイトで寄稿した『サウンド・オブ・ミュージック』の論考を読んでからというもの、氏のミュージカル映画論に絶大な信頼を寄せていたので、『アニー』もすぐに見た。そして大いに笑い、涙ぐみ、ほんのちょっと困惑したのだった。
 『アニー』は乱暴な映画だ。名曲「トゥモロー」が劇中で歌われる場面など、乱暴さの真骨頂である。『アニー』を見たことがなくても、劇中歌の「トゥモロー」を知っている人は多いだろう。そんな人は「トゥモロー」がこんなかたちで使われていることに困惑するにちがいない。大久保氏が指摘するとおり、この映画の「政治性」に目を向けずにいることは普通の大人には難しい。共和党支持者のウォーバック氏とフランクリン・ルーズベルト大統領がアニーにつられて「トゥモロー」を歌い出す(後ろにはジョージ・ワシントン肖像画!)。「何かメッセージがあるのかしら」とかんぐってしまう。アニーの歌声が、「トゥモロー」の流麗で力強いメロディが、イデオロギーを乗り超えて凱歌を上げる。あまりの衒いなさにあきれ、笑う。何これどういうこと?っておもいながら、何回も見てるといつのまにか泣いている。自分でもびっくりする。まじでか!
 だいたいこの映画では、誰もがすぐにアニーのとりこになり、言うことを聞いてしまう。まるで魔法か超能力を使ったように。というより本当に魔法か超能力を使える人物さえ登場する。ほとんど腕ずくでことを運んでいくジョン・ヒューストンである。「ゾウだってぶっ殺すぜ!」といわんばかりである(ラストにハイネガンさんがゾウに乗って登場する場面はちょっと緊張する)。ヒューストンが『アニー』の監督にアナウンスされたときの周囲の反応はどのようなものだったのだろう。誰もがそんなばかなと思ったにちがいない。私だって大久保氏の文章を読まなければ「きっとダメなときのヒューストンだろう」といつまでたっても見ようとしなかったかもしれない。それから1982年はミュージカル映画にとって長い長い冬のさなかだ。大久保氏の文章は「今こそ、臆することなく『アニー』を見直すべき」と結ばれているが、公開当時の『アニー』は今よりずっとアナクロだったに違いない。『アニー』を見ているとこれが80年代の映画だということをしばしば忘れてしまうほどである。
 実際、公開当時の『アニー』の評価はあまり芳しくなかったようだし、今でも駄作と言い切る人はいる。その言い分もわからなくはない。『アニー』はミュージカルパートもドラマパートもとても丹精に撮られているし、ため息が出るほど美しいショットがいくつもあるが、前述した場面のように端々で乱暴さや野蛮さを感じる。それはヒューストンがミュージカル映画を作るの乱暴さでもあるし、80年代にMGM製のような王道ミュージカル映画をつくる乱暴さでもあるのだろう。そして、この乱暴さが『アニー』という映画をどうしようもなく輝かせる。大恐慌で暗く沈んだ時代の孤児院で、アニーが持ち前の明るさ、そして乱暴さで周囲を幸福な空間に変えていったように。私にとって映画じたいが、少女アニーそのものなのだ。
 ウィル・スミスが娘ウィロウ・スミスのために随分前から進めていた『アニー』の再映画化ではウィル・グラックが監督に抜てきされた。ジョン・ヒューストンとちがって適役である!と久々に興奮。肝心のウィロウ・スミスは成長しすぎてしまったため主役降板。代役にはクヮヴェンジャネ・ウォレスが候補に上がっている。リメイク版『アニー』はずいぶんと恵まれた妹である。きっと美人(傑作)になるだろう。でも私は、乱暴で、愛くるしい姉ほど愛せるだろうか。

『特命戦隊ゴーバスターズ』

"Tokumei Sentai Go-Busters"2012-2013/JP

 スーパー戦隊シリーズの第36作『特命戦隊ゴーバスターズ』が終わりました。昨年の『海賊戦隊ゴーカイジャー』ほどのお祭り感はなかったのですが、さまざまな新機軸やかっこいいアクションとガジェット、魅力的な登場人物、小林靖子ならではの安定したシナリオ構成で一年間とても楽しめた。アニバーサリーシリーズであった『ゴーカイジャー』を経て、デザインやコンセプト、構成など随所に新しい試みを見られた意欲作。視聴率こそ苦戦したようですが、スーパー戦隊史におけるエポックメイキングな作品としてきっと評価されるだろう。しかし、それ以上に重要だったのは『ゴーバスターズ』は311以降、初の戦隊ヒーローだったという点だ。架空のエネルギー「エネトロン」をめぐる戦いという設定からも製作者側が「311後の世界」を強く意識していたことがうかがえた。結論からいうと残念ながらエネルギー問題については当初の期待ほど深く掘り下げられることはなかったが、「取り返しが付かない悲劇」を真正面から描いた点は評価したい。13年前に家族と離れ離れになったゴーバスターズのメンバーは「全部元に戻す」ということをモチベーションとして戦ってきたが、中盤で「元には戻せない」ということが明らかになってしまう。私もいち視聴者として最終回には「すべての人々が救われるハッピーエンド」と楽観視していたふしがあるので、ストイックな展開にはかなり驚いた。「311以後」の子どもたちに向けて物語を紡いでいく―。そんな覚悟さえ感じられた29、30話は涙なしには見られない屈指の傑作回になっている。31話以降は結果としてこの2話のテンションを上回ることはなかった気もしているが、コミカルとシリアスの配分もよく、飽きずに見ることができた。正直に告白すると私が『ゴーバスターズ』を熱心に見ていたモチベーションの9割は小宮有紗さん演じるイエローバスター/宇佐見ヨーコの健康的な美しさだったんですけどね。アクションも頑張っていたし、天真らんまんでちょっと生意気なキャラクターも小宮さんのルックスと見事に合致していて近年の戦隊ヒロインの中では断トツの素晴らしさでした。何より1年間通してあの衣装で頑張った小宮さんのガッツもたたえたい。「小宮有紗」や「宇佐見ヨーコ」でグーグル検索しようとすると候補に「ふともも」と出てくるのはどうかともおもいましたが、それだけトレードマーク化したことの証左だろう。小宮さんがエゴサーチして、自身のスレッドが「小宮有紗ちゃんのムチムチふともも●本目」というタイトルであることにショックを受けないことを願うばかりです。戦隊ヒロインはちびっこにとってのセックスシンボルという側面もあるので面目躍如ですよと励ましたい・・・。小宮さんを始め、西平風香さんが演じた司令室オペレーター・仲村ミホ、水崎綾女さんが演じた悪のヒロイン・エスケープと女性陣が健闘したシリーズだった。三者三様の魅力があってよかったです。水崎さんは傑作『キューティーハニー THE LIVE』でもりんとした存在感を示していたが、やはり特撮ばえする女優だとおもった。いつか坂本浩一監督にも演出していただきたいものです。悪役といえば陳内将さんが演じたエンターにも触れておきたい。久々に第1話から最終話までを貫徹したレギュラー悪役となった。やっぱり悪役はこうでなくちゃね。慇懃で芝居がかったキャラクターは昨年のバスコにも通じますが、整った顔立ちでデータらしい表情を体現した陣内さんの演技により、また違った魅力を放つ名悪役になった。バスコと同様、途中から戦闘向きに変身するパターンとなりましたが陣内さんじたいの身体能力も非常に高く、かっこいいアクションシーンを何度も見せてくれた。悪役レギュラーは中盤から登場したエスケープとのふたりだけでしたが、必ずしも協力し合わない独特の関係性で動いていてドラマを奥深いものにしてくれた。俳優が演じる悪役の魅力を再認識できたシリーズでした。次作『獣電戦隊キョウリュウジャー』の悪役側は残念ながら、現時点ですべてきぐるみとわかっているのですが、リーダー格と4幹部、さらに背後にラスボスが潜むというストレートな組織図となっているので『ゴーカイジャー』では成し得なかった濃密な仮面劇を期待したい。シリーズ全体も一転してチャイルディッシュな方向性のようですが、ライダーシリーズから監督・坂本浩一と脚本・三条陸が登板、既に注目が集まっている。『ゴーバスターズ』とは違ったニュースタンダードを築き上げてほしいです。

『DOCUMENTARY OF AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?』(高橋栄樹)

"Documentary of AKB48(No Flower without Rain)"JP/2013

 プレス向けのメールには「ドキュメンタリー映画第3弾という表記はNG。新たな作品として紹介して」と書いてあって「UZA!!!」とおもったのですが、ここで書くぶんには問題ないでしょう。AKB48の舞台裏に迫るドキュメンタリーの第3弾です。
 AKBプロジェクトに関しては、みなさんいろいろなスタンスがあるとおもいますが、今の日本に住んでいて彼女たちを意識せずに過ごすことはかなり難しい。アンチですら、もはや現象の中に取り込まれている。私はといえば、彼女たちのニューシングルがいつ出るかとかどこでコンサートをするのかについては率直に言ってあまり興味が湧かない。けど、スキャンダラスでスリリングな共同体の動向についてはいつも興味をそそられます。要するにひどく俗物的な好奇心なんですけどね。ほんとすみません。そんな私が見た新作なので、正直前作ほどは楽しめなかったです。ただ「一見さんお断りのつくり」という意見もちらほら見かけますが、そういうことではないとおもう。私がこの映画に期待していることといえば、年ごろの美少女たちが追い詰められ、ずたぼろになっていくさまを楽しむというサディスティックな欲求なので、その意味ではじゅうぶんに楽しめました。見た直後、前作と今作は『アウトレイジ』と『アウトレイジ ビヨンド』みたいな関係かなとおもったのですが、カトキチさん(id:katokitiz)がブログでまったく同じこと書かれていて驚いた。そして今作を『アウトレイジ ビヨンド』になぞらえたときに、決定的に欠落している箇所がある。北野武がラストカットでとるある行動です。多分、そこが私がこの映画に感じた欠点だとおもう。
 戦場映画の様相を呈した前作と比べ、今作は政治劇としての側面が強い。恋愛禁止のルールや総選挙という無慈悲なシステムなど過剰なコードの中で少しずつ疲弊し、脱落していく少女たちのパワーゲームを前作同様、クールな視点で写し取っていく。総選挙前はノリノリでふざけていた光宗さん(でしたっけ?違ってたらすみません)が選挙結果に打ちのめされて卒倒とか、指原さんが移籍先のHKT48(フレッシュ感が半端なくて存在自体が残酷)と初めて顔を合わせるときの何とも気まずい雰囲気とか、何の前触れもなく解散させられるチーム4の面々とか、増田さんの謝罪あいさつに誰も興味を持っていないかのように見せる演出とか、今回も露悪的とすらいえる鬼畜編集が冴え渡る。どんどんシステムと一体化していき、ついには「総監督」というよくわからない座にまで登り詰めた高橋みなみさんもおそろしいです。一方で脱退してしまったメンバーのインタビューで「AKB以外の世界」にまで踏み込んだことも評価していいとおもう。ただ、それだけにやはり巧みに隠蔽、回避されてしまったシステム側の欺瞞が浮き彫りになってもいる。今回のテーマはセンターポジションと恋愛禁止ですが、結局その両方が想定内の結論に納まっている。恋愛がらみのスキャンダル話とかは劇中で幾度となく反復されるので、最後はさすがに苦笑してしまいました。そんな大まじめに語られても、そのルールあなたたちの世界だけだから!と。センターポジションと重圧と苦悩についても、つらつら言葉で説明されても、それあなたたちのシステムでしょ?とどうしてもおもっちゃう。前作には前田敦子さんが壁に向かってぶつぶつ歌うところとか過呼吸でダウン寸前で歌う「フライングゲット」の迫真のステージなど、システム側の論理を突き破るような圧倒的な「画」があった。それが今作にはないのでプロパガンダの域を出ていないんですよね。
 過酷な状況の中、アイドルを続ける少女たちに「なんでそこまで」という疑問は当然湧いてくる。それに対する答えが、前作における前田敦子さんの存在や被災地訪問の場面だったとおもうんです。あそこには大人が捏造した欺瞞や偽善が、本当に気高い何かに昇華する瞬間が確かに写っていた。今作ではそれが宙づりのままというか、その宙づり自体を「よし」として商品化してしまっているふしがあるので、「筋書き通り」感がいなめなかったです。誰かがシステムに銃弾を撃ち込む瞬間が訪れるかも、というのはさすがに無理な期待なのでしょうか。そして私の気に入っているHKT48兒玉遥さんは来年にはもっと画面に映っているのか。次作も楽しみです。

さようなら2012(音楽編)

 AVや映画のエントリほど力は入っていませんが、今年よく聞いていた音楽もひっそり振り返っておきます。今年はあまり新譜を買いませんでした…中村一義七尾旅人くらいしか買わなかった…。CDショップに行かなくなったというのもあるかもしれませんが。地方に帰ってきてから買い物自体ほとんどアマゾンという感じです。アルバム単位でよく聞いていたのはこんな感じ。

早熟

早熟

LOVELESS

LOVELESS

EP'S 1988-1991

EP'S 1988-1991

Leisure (Special Edition)

Leisure (Special Edition)

On the Tlc Tip

On the Tlc Tip

ア・ソング・フォー・ユー

ア・ソング・フォー・ユー

見つめあう恋

見つめあう恋

 新譜は買わなかったけど、リマスターなどはいろいろと新しく出たので買い換えたりはした。岡村ちゃんはけっこう久しぶりによく聞いたな。新しいライブBlu-rayまで買っちゃった。『家庭教師』は砂原良徳がリマスターを手がけたりして話題になったけど、劇的に音の変化を感じたのは『早熟』だった。ライナーに『モテキ』の大根仁監督がエッセーを寄せているがこれがすこぶる気色悪くていい。
 昨年はスミスとスウェードジザメリのリマスターが発売されて「あとはマイブラくらいだな」と書いていたんですよ。みなさん覚えていないとおもいますが。ところが、マイブラのリマスター出たの!オリジナル2枚だけではなくEP盤を集めたコンピまで発売。『ラブレス』のリマスター盤は一度、土壇場で発売中止になったりしたのでぎりぎりまで信用していなかったけどちゃんと出た。そしてリマスターは非常に満足のいく出来でした。『ラブレス』はCDの音がかなり小さいので、もっとがんがん音圧上げてくるのかなとおもったらそんなこともなく、一聴するとあまり違いがわからずに困惑した。しかし、よくよく聞き比べるととても立体的になったとおもう。"I only Said"、"Blown a Wish"などが顕著でスピード感がちがって聞こえる。一方でマイブラはすべてをノイズが埋め尽くすような音像が特色のバンドなのでここまで立体的なリマスターはもしかしたら好みが分かれるかもとはおもった。えらそうにいいながらも私もリマスターのことってよくわかってなかったんですよね。今年、山下達郎がベストアルバムをリリースしたタイミングでリマスターについて話していたときに、音圧を上げていかざるをえない現状のリマスターを指摘していて、「あーなるほどな」とおもった。音がでかければいいというわけではないのかと。そういう意味でマイブラのリマスターは単に音圧を底上げしただけではない理想的な再リリースになった
 マイブラに加えてブラーまでリマスター。もう音楽に関してはいつ死んでもいいかな。ファーストからセルフタイトルの5枚目までをアビイロードスタジオのフランク・アークライトがリマスター。『13』『シンク・タンク』は同じマスターではあるが全アルバムをボーナスディスク付きで再リリースした。ここにレアトラックスやDVDを加えた22枚組の集大成的なボックスセット『21 Box』を発売。もう買ってしまいました。今年1番の買い物だな。そしてレアトラックスほとんど聞けてないっていう…。しかし後悔はしていない。ブラーはロンドンオリンピック閉幕式のライブがおそらく最後の活動になので、このボックスは本当に決定版になるとおもったから。今回の再リリースで私が偉いとおもったのはオリジナルアルバムとアウトテーク集のディスクを完全に分けたところ。オリジナル末尾にボートラをいっぱい付け足すのって個人的には美しくないのできらいだ。ファーストアルバム『レジャー』なんか、実は曲間にボートラが収録されていたということに今回初めて気づいてびっくりした。アルバムの印象かなり変わったよ。音に関しても私の中で一番「化けた」のは『レジャー』だった。なんか『レジャー』って「まだシューゲイザーフォロワーから抜け切れていない」みたいな評価のされかたしてたとおもうんだけど、全然そんなことない。既にソングライティングは突出しているし、グレアムのギターまじでかっこいいよ。
 TLCは去年はセカンドばっか聞いてたけど今年はファーストめっちゃ聞いてた。TLCのファーストもなんか過小評価されてますよね。
 カーペンターズむかしから好きなんですけどね。今年、ちょっと音のいいCDで聞こうかなっておもって一番あたらしいベストを買ったんですよ。そしたらところどころでなんか微妙にちがう。アレンジが。私が知っているのとちがうのだ。実はカーペンターズの音源を新しくリリースするときにけっこうな頻度でリチャード・カーペンターが手を加えているらしいということがわかった。まるでジョージ・ルーカスじゃないかと。結局オリジナル盤で聞くしかないとおもい、何枚か買ってしまった。恥ずかしながらオリジナルアルバムでしっかりとカーペンターズを聞いたことなかったんですよね。ちょうど今年の秋、ユニバーサルがSHM-CD仕様でオリジナルアルバムをリイシューしてくれたのでベストタイミングだった。どれもすごくよかったのだが特に4枚目の『ア・ソング・フォー・ユー』を推したい。6枚もシングルを切ってそのすべてが世紀の名曲というモンスターアルバムだが、オープニングとエンディングで円環構造を演出するなどトータリティがすぐれている。この方法はさらに洗練され、次作『ナウ・アンド・ゼン』へと結実していく。あともうひとつ特筆したいのは名曲"Top of the World"が耳なじみのバージョンとかなりアレンジが異なっている点。私も最近知って驚いたのだけど"Top of the World"って最後までシングルカットをまったく想定していなかったらしいんですよ。アルバムリリース後、リン・アンダーソンによるカバーがヒットしたことを受けて、再アレンジしてシングルリリースした。だからシングル"Top of the World"はアルバム『ナウ・アンド・ゼン』より後にリリースされたということになる。現在広く親しまれているのはシングルバージョンで、アルバム収録のオリジナルはもう少しカントリー色が強いアレンジになっている。このオリジナル音源は『ア・ソング・フォー・ユー』CD化の際にシングルバージョンと差し替えられ、長らく日の目を見なかったのだそうだ。もう一枚よく聞いたのは7枚目『見つめあう恋』。このアルバムは一般的にカーペンターズの人気が陰りを見せ始めた最初のアルバムとして認知されているようだ。じっさいチャート的にもふるわなかった。リチャードはカーペンターズ流のオールディーズカバーを極めた『ナウ・アンド・ゼン』に比べ見劣りすると述懐しているが、そんなことはない。カーペンターズの円熟の高みが感じられる快作になっているし、なにより気軽に聞けて楽しいんですよね。一番手元においておきたいというか、聞けばちょっとだけ気持ちをリフトアップしてくれるそんなアルバムです。カーペンターズのオリジナル盤を聞いていて感じたのは、稀代のボーカリスト、カレン・カーペンターの歌声の強度である。後年再アレンジされたバージョンは確かに洗練されているし、今の感覚でもじゅうぶんに現代的だ。情報量の多い現在のポップミュージックに聞きなれた耳にはオリジナル盤のカーペンターズはシンプルすぎてちょっと物足りなく感じるかもしれない。でもいくら豪奢にアレンジしてもオリジナルに勝るものものはなくて、それはやはりカレンの歌声がいちばんよく聞こえるからだとおもうんですよね。
 最後によく聞いた曲やよく見た動画など。

Tracy Ullman「Braak Away」

Blur「I Know」

太賀誠(妻夫木聡)「激しい恋」

「迷い道」

Blaque「As If」

Rajinikanth & Aishwarya Rai(Javed Ali, Chinmayi)「Irumbile Oru Irudhaiyam」

朝川ひろこ「魔法使いサリー

WANDS「Just a Lonely Boy」


 WANDSっていま聞くと面白いですね。ベースはボン・ジョヴィとかガンズのハードロックなんだろうけど、ちょっとディスコっぽいアレンジがあったりしてですね。聞くだけで90年代にタイムスリップしちゃう。という感じでした。ほんと音楽のエントリは毎回書いていて申し訳ない気持ちなんですが…。

さようなら2012(映画編)

 今年の劇場観賞本数はちょうど延べ100本、再見やリバイバル上映を差し引いて93本でした。学生のころ以来、久々に年間100本を達成できた(対象作品はこんな感じ)。今年も良作が多くて本当に悩みました。ではことしの10本を。

1.『桐島、部活やめるってよ』(吉田大八)

"The Kirishima Thing"2012/JP

2.『サニー 永遠の仲間たち』(カン・ヒョンチョル)

"써니(Sunny)"2011/KR

3.『ロボット』(シャンカール)

"Enthiran(Robot)"2010/IN

4.『ミッドナイト・イン・パリ』(ウディ・アレン

"Midnight in Paris"2011/FR-ES

5.『フランケンウィニー』(ティム・バートン

"Frankenweenie"2012/US

7.『プロメテウス』(リドリー・スコット

"Prometheus"2012/US

8.『007 スカイフォール』(サム・メンデス

"Skyfall"2012/UK-US

9.『ドラゴン・タトゥーの女』(デヴィッド・フィンチャー

"The Girl with the Dragon Tattoo"2011/US

10.『アウトレイジ ビヨンド』(北野武

"Outrage Beyond"2012/JP

 このブログを始めてから日本映画が1位というのはおそらく初めてだとおもうが、今年は日本映画も積極的に見に行くことが多かった。がっかりする映画もそれなりにあったが総じてレベルが高かったといえる。昨年、一昨年と「日本映画にまるで興味が湧かない」と書いていたことを考えれば起死回生の年だったのではないか。日本映画の突然変異的な盛り上がりに311も関係しているような気もするのだがどうだろうか。
 『桐島、部活やめるってよ』は日本映画史を塗り替えた作品といっていいだろう。公開時に書いた「日本の『ブレックファスト・クラブ』になる」という確信は今も変わらない。私は、本作が「スクールヒエラルキーを扱った学校劇だから」という理由だけでそういっているわけではない。「学校」という舞台を扱った物語は今後も生み出されるとおもうが、おそらく「桐島以前/以後」というタームで語られることになるだろう。そういう決定的な新基準を生み出してしまったという意味でいっているのである。実際はその先駆けに武富健治の漫画『鈴木先生』があるのだが、それでも映画『桐島』が成し遂げた功績は大きい。…とここまで書いておいておきながら、『桐島』の映画史的なポジションなどは実はどうでもいいともおもってもいる。私はこの映画を、この映画に登場する人々を愛してしまっている。この映画の中にいる、かつての私、かつて私が出会った人々、出会ってわかりあえた人々、ついにわかりあえなかった人々、そんな人々のすべてがいとおしくて仕方がないのだ。
 『サニー』も同じく映画内の登場人物に強い思い入れをもってしまう類の映画。サニーの7人はもちろん、主人公ナミの家族(特におばあちゃん)、敵対するヘタレ不良グループ、シンナー中毒のサンミなどすべての登場人物がいとおしい。この結末が非現実的で鼻に付くという批判をたまに見かけますが笑止!!金は所詮、金ですから。サニー最後の夜、ハ・チュナがスジの家の前でメンバーに語る言葉…その約束のすべてを果たす瞬間なのだ。そこを読み取ってくださいよ。私が『サニー』に最も感心したのは、サニーというグループが、ハ・チュナがという人が、ついに救うことのできなかったサンミ(シンナー常習者)の存在である。人と人との分かちがたい絆、そのともしびが強ければ強いほどそこからはじかれた人々に落ちる影は濃くなっていくだろう。その暗部にまで目を向けたところに現実を凌駕するようなファンタジーの強度があるとおもう。
 3位はインド映画『ロボット』。Blu-rayも買って繰り返し見ましたね。この映画との出会いもけっこう私の中では大きかった。娯楽映画における激辛カレー。ほかの映画もお茶漬けのようにさっぱりしたものになってしまうので要注意ではある。1〜3位は笑ったり泣いたり、感情の振れ幅の大きな作品が多かった。『ミッドナイト・イン・パリ』もまた。わかりあえなくても、すれちがいばかりだったとしても、新たな出会いに胸を躍らせてしまう私たちの愚かさ。その祝福に満ちた雨と夜景とシドニー・ベシエのサックス!上位4本はほぼ同率1位という感じだが、アメリカ映画は1本も入らなかった。
 ティム・バートンの創作の原点ともよべる短編をセルフリメイクした『フランケンウィニー』は、ここ数年の作品の中では群を抜いてパーソナルな、だからこそファンにとって待ちに待ったともいうべき傑作に仕上がった。ストップモーションという表現技法も含めてほとんどフェティッシュともいえる作品の構成要素が娯楽作品として見事に結実したとおもう。オリジナルから長編化したにも関わらず、水増し感はなくユニバーサルモンスター映画へのオマージュあふれるキャラクターや主人公の細かな心の動きを肉付けすることで物語の深みを増した。ラストのヴィクターのせりふはオリジナルにはなかったが、バートンの作家的成熟と人間的成長が感じられる。不安定な現代をを生きる内気でナイーブな少年少女にとってはきっと宝物のような作品になるだろう。
 『小悪魔はなぜモテる?!』はホーソーンの『緋文字』を下敷きにジョン・ヒューズ的な学園映画を物語論のレベルにまで昇華させた大傑作。DVDスルー作品だが、発売当時はあちこちで話題になったし、今年のベストに上げている人も多いようだ。劇場で見ていたらもっと上位だったかも。次作にあたる『ステイ・フレンズ』(昨年8位)でもロマンティック・コメディの伝統を踏まえつつ、フレッシュな感覚でジャンルを蘇生してみせたウィル・グラック。彼の作品をリアルタイムで終えることを幸福におもう。
 『プロメテウス』はいい意味で今年一番驚きだった。誤解を恐れずに言えば、『レジェンド』から『ロビン・フッド』までのキャリアすべてを「空白」に押しやってしまうくらいすごかった。強くて不気味なクリーチャー、精緻で機能美にあふれたメカニック…まずはぼんくらマインドにあふれた“中学生”リドリーの帰還を喜ぼう。原点回帰といってしまえば『フランケンウィニー』と同じかもしれないが、リドリーのそれはあまりに果てしない一足飛びである。これを「前進」と取るか「後退」と取るのか。私は迷うことなく「前進」と断言したい。『プロメテウス』を見た後だと不安だった『ブレードランナー』の続編にもがぜん期待が高まった。
 8、9位にはダニエル・クレイグの二作。今年の映画はダニエル・クレイグに始まりダニエル・クレイグに終わったという印象。デヴィッド・フィンチャーサム・メンデス、どちらもそれぞれの資質を生かしながら俳優の魅力を引き出してくれた。『セブン』を実はそこまで評価していない私だが、『ドラゴン・タトゥー』は完全にやられた。もはや奇をてらったアート志向はない(本当はあるけど巧みに隠されている)。黒くしまったルックにしびれる。『スカイフォール』はサム・メンデスの研ぎ澄まされた画面構成にただただ陶然ほかない1作。「うっとり」という表現がこんなに似合う作品はない。
 10位は迷いに迷って『アウトレイジ ビヨンド』が滑り込み。キャリア初の続編映画で、前作の肯定派と否定派双方を黙らせてしまう問答無用の傑作を仕上げて見せた。今年は日本映画が充実していたと書いたが、年始に黒沢清がテレビドラマ『贖罪』を放映、下半期は井筒と北野が新作を上梓した、というだけでも充実ぶりがうかがえるとおもう。振り返れば振り返るほど贅沢な年だったな。久しぶりに日本人でよかったとおもったよ。
 もったいないので11〜15位の5作も紹介。

11.『DOCUMENTARY OF AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』(高橋栄樹

"Documentary of AKB48(Show must go on)"2012/JP

12.『幸せへのキセキ』(キャメロン・クロウ

"We Bought a Zoo"2012/US

13.『私が、生きる肌』(ペドロ・アルモドバル

"La Piel que Hanito(The Skin I Live in)"2011/ES

14.『ドライヴ』(ニコラス・ウィンディング・レフン

"Drive"2011/US

 もったいないので11〜15位も紹介。この枠もけっこう重要なんですよね。私は自意識が強いので10本選ぶとどうしても「メッセージ性」が強まってしまうようだ。10本にさまざまな要素を代表させようとしてしまう。アメリカ映画に偏り過ぎないようにとか、アニメ映画は入れすぎないようにとか、無意識にそういう抑制が働いているような気がする。なのでことしはランクインに悩んだ作品にも一応触れておきたい。
 『アメイジングスパイダーマン』『ダークナイト ライジング』『アベンジャーズ』などアメコミイヤーだった2012年だが、私に必要なヒーロー像を提示してくれたのは『ウルトラマンサーガ』、そして『Documentary of AKB48』だったとおもう。まさか自分がAKB48ドキュメンタリー映画を見て、けっこう長い感想を書いてしまうくらい感銘を受けてしまうとは夢にもおもわなかった。欠点も多い作品だが、2012年の日本の時代そのものを刻みつけた記録として。『幸せへのキセキ』も私にとっては宝物のような1作。思い入れについてはブログにも書いたのでここでは省略する。『私が、生きる肌』は『バッド・ルーテナント』(2010)、『スプライス』(2011)につづく今年の怪作枠としてぎりぎりまで10位に残っていた作品。アルモドバルの無駄に格調高い語り口についだまされそうになるけど、本当にただの変態映画。『顔のない眼』的なメディカルホラーかと思わせつつ、「虎」の登場あたりから物語は急展開。アルモドバルにしか描きえない妄執の物語へと変容していく。とはいえどこか身につまされる恋愛論になっているからすごい。楳図かずおの作品の読後感にも似た恐怖と切なさと感動が一気に押し寄せてくる不思議な気持ちにさせてくれる。この作品についてはいつかじっくり書きたいです。『ドライヴ』は年末に『スカイフォール』が来なければ10位以内に入っていただろう。何度目かの3Dブームは去りつつあるが『ヒューゴ』はその最後の傑作となるかも。
 ベストに入れるくらい気に入った作品でありながら結局このブログに感想を書けずに終わった作品がけっこう多かった。ツイッターで散漫につぶやいてなんとなくスッキリしてしまったり、いろいろな人の感想をネットで読むうちに私がわざわざ書く必要はないなと書くのをやめてしまったこともけっこうある。いずれにしても今年もブログやツイッターで映画に関するいろいろな人の意見や考え方に触れることが出来て刺激的だったし、おかげで思わぬ映画に出会えることもあった。この場を借りて「今年もお世話になりました」。
旧作ベストは日活100周年でDVD化された石井輝男『怪談昇り竜』。当時のトレンドだった女侠客ものと怪談ものを無理やりに接合した上、『奇形人間』に通じる石井輝男のエログロ趣味で味付け。異形にしてエネルギッシュな傑作に仕上がっている。今年1番見た映画も日活がらみで『幕末太陽傳』。デジタルリマスター版の劇場公開ももちろん見たし、ブルーレイソフトも買ったし、BS、CSで放映されればそのたびに見てたし、本当に数え切れないくらい見た。「ことし『幕末太陽傳』めっちゃ見た」って人けっこう多いんじゃないかなあ。と、いうわけで今年も更新は少なめでしたが、来年もよろしく!首がとれても動いてみせまさあ!