Devil's Own

cinema, music, book, trash and so on...

さよなら2014年(音楽編)

 いつもはAV、映画、音楽と振り返るのですが、映画がなんとなくもう少し考えたい気分だったので、ことしは音楽編からいきます。新旧問わず、よく聞いた10枚をピックアップしました。

『JHUD』(Jennifer Hudson)

JHUD

JHUD


『ドリーム・ガールズ』に出演していたジェニファー・ハドソンの3作目です。バラッドももちろん聞かせますが、全体的には70s、80sディスコへのオマージュ満載の完全に踊れるアルバムです。今を時めくファレル・ウィリアムスも楽曲提供しています。個人的にはファレルのアルバムより聞きたかった音でした。文句なしでことしの1位です。

『二九歳』(Base Ball Bear

二十九歳(初回限定盤)(DVD付)

二十九歳(初回限定盤)(DVD付)


実は私も今年29歳で、Base Ball Bearのメンバーたちと同い年だったんですね。正確には学年が違うのですが、思春期にスーパーカーナンバーガールくるりといったいわゆる「98年世代」の日本語ロックを夢中で聞いていた同世代なわけです。BBBが有名になり始めたころ、私は、「ナンバガエピゴーネンだろ」と高をくくってまともに聞きもしなかった。そのうち音楽自体をあまり聞かなくなって、私は大学を卒業して、就職して、あくせく働いているうちに、29歳になって、なんとなく同世代の彼らがどうしているのか気になってこのアルバムを手に取ったわけです。そしたら、もうナンバーガールスーパーカーの二番煎じだとは思わなかった。たぶん前からそうじゃなかったんだろうけど、私がなんとなく音楽に飽きて、なんとなく生きている間にも、彼らはずっと音楽とまじめに向き合ってきて、彼らなりに90年代とは違う音楽をクリエイトしているんだなと感動し、勇気が湧いてきました。

『Everythig Will Be Alright in the End』(Weezer

Everything Will Be Alright

Everything Will Be Alright


 ファースト、セカンドレベルとまではいかなくても、久々に『マラドロワ』レベルの傑作とはいえるウィーザーの新作。奇をてらわず、ウィーザーらしいストレートなパワーポップを10曲並べた直球アルバム。42分というアナログレコードばりの収録時間なのもいいです。このアルバムのレビューはカトキチさんのが一番面白くてしっくりくるのでそちらを読んでください。だいたい同じ意見。

『Guardians of the Galaxy(OST)』(V.A)

GUARDIANS OF THE GALAXY

GUARDIANS OF THE GALAXY


 劇中のミックステープを模したサントラというのに弱いんですよね。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は音楽の使い方が本当にうまく、しかもそれが物語のテーマやメッセージともしっかり重なっているところが素晴らしいとおもった。

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アニメ映画ベスト10

ことしに入ってたったの1度しか映画のエントリーを書かないうちに、もう11月に入ってしまいました。もはやこのブログも忘れ去られているのではないかと心配しつつ、生意気にも年末恒例のたのしいおまつり企画には参加します。
アニメ映画ベストテン - 男の魂に火をつけろ!

1.『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(ヘンリー・セリック

The Nightmare Before Christmas/1993/US

2.『魔女の宅急便』(宮崎駿

Kiki's Delivery Service/1989/JP

3.『モンスターズ・ユニバーシティ』(ダン・スキャンロン)

Monsters University/2013/US

4.『プリンセスと魔法のキス』(ジョン・マスカー、ロン・クレメンツ)

The Princess and the Frog/2009/US

5.『エスパー魔美 星空のダンシングドール』(原恵一

Esper Mami/1988/JP

6.『かぐや姫の物語』(高畑勲

The Tale of Princess Kaguya/2013/JP

7.『劇場版美少女戦士セーラームーンR』(幾原邦彦

Sailor Moon R:The Movie/1993/JP

8.『ヒックとドラゴン』(ディーン・デュボア、クリス・サンダース)

How to Train Your Dragon/2010/US

9.『ファンタスティック・プラネット』(ルネ・ラルー

Fantastic Planet/La Planète Sauvage/FR-CS

10.『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』(芝山努

Doraemon: Nobita in the Wan-Nyan Spacetime Odyssey/2004/JP

以下順番に紹介します。
ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』。映画公開時にはまだまだ日本ではなじみの薄かったハロウィーンも最近は全国各地で盛り上がっているようで、うちのまちでも子供向けのイベントがあったし、ハロウィーンに仮装する会社があるなんていうニュースで見た。日本でハロウィーンが市民権を得るのにこの映画がどのくらいの役割を果たしたのかはわからない。しかし、少なくとも私にとって、この映画で初めて知ったハロウィーンという祝日が強烈な魅力を持ったことは確かだ。アメリカ映画にゴシックな感性を持ち込み傑作を連打していたティム・バートン人形アニメに命を吹き込む天才ヘンリー・セリック。二つの才能が融合した人気作だが、何度見てもみじめで悲しい気持ちにさせられる。クリスマスにあこがれる主人公ジャックの努力はドン・キホーテのように奇妙な悲しみと滑稽さを帯びる。誰からも喜ばれないプレゼントを山ほど抱えた招かれざるサンタクロース。得意げな笑い声がむなしく響く。ラストはとりあえずロマンチックにまとめてあるが、結局ハロウィーンの世界でしか生きることを許されない者たちの結末には、どこか寂しい気持ちにさせられる。それでも、私はジャックがプロデュースした悪夢のクリスマスが好きだ。陰険なホラーの世界で身を寄せ合って生きる不器用で滑稽な化け物たちが、抱きしめたくなるほど好きだ。そして、ラストにクリスマスからハロウィーンに贈られるささやかなプレゼント。たとえ間違っていたとしても、見当はずれだったとしても、誰かを喜ばせようとした化け物たちの努力はひとしく尊い。だからクリスマスって素晴らしい。置いてけぼりにされたとき、一人だけしくじったとき、仲間外れだと感じたとき、私は暗闇に生きる彼ら化け物たちのことを思い出すのだ。
2位。宮崎駿作品、というより一連のジブリアニメーションの中でも最も好きな作品が『魔女の宅急便』だ。「大衆性」をぎりぎり保っている最後の作品ともおもう。以降、宮崎は「作家」または「巨匠」に変わっていく。もっというとどんどん個人的な作品づくりに向かっていく。『魔女の宅急便』については実はここ1年くらい、詳細に論じてみたい、というと大げさになるけど、自分なりの感想をまとめてみたいと思っていて、なかなかできずにいる。年末に書くかも。
3位。ここ数年、やや不振が続いていたピクサーが久々に放った会心の傑作。今のところピクサー作品の中で最も好きな作品になっている。『トイ・ストーリー』や『ウォーリー』、『カールじいさん』とも迷ったけど、とりあえず今の気分ということで。いかにもピクサーらしい弱小クラブ、ウーズマ・カッパの面々も楽しい。
4位。初のアフリカ系プリンセスを主人公に「カエルの王子」をモチーフにした『プリンセスと魔法のキス』は、『白雪姫』から『アナと雪の女王』に至るまでディズニーが紡いできたプリンセスストーリーの一つの完成形ともいえる大傑作。日本ではいまいち知名度低いようにおもう。ジャズを基調にしたランディー・ニューマンの音楽も最高。
エスパー魔美』劇場版は原恵一の長編デビュー作。『ドラえもん のび太のパラレル西遊記』の同時上映として製作された。私がこの作品に触れたとき、もちろん原恵一という名前を知らなかったわけだが、いま見返すと後の傑作群につながる才能の片りんを見つけることができる。魔美と、解散寸前の人形劇団こけし座、母親を亡くし人形としか話さなくなった少女との交わりが原ならではの繊細かつ丁寧な手つきでつづられる。こけし座が子供たちの前で公演する場面は間違いなくトリュフォーの『大人は判ってくれない』のオマージュだろう。人はなぜフィクションに惹かれるのかという疑問への本質的な答えがある。子供たちが面白いものを見つけ、目を輝かせ、のめりこむときの原初的な喜びをとらえた名場面が、アニメで再現されていることに驚く。その後の展開でも原は、「物語」が人を勇気づける瞬間を描ききり、一方で人が「物語」にとりつかれる美しくも恐ろしい宿命も表現する。公開当時の評判はよくなかったと聞くが、40分の短い上映時間に若い才能がほとばしる。
6位。およそアニメーション映画というくくりの中で、もっとも途方もなく、ほとんど現代美術ともいえる領域にまで到達してしまったのが『かぐや姫の物語』だ。おそらく高畑は二度と長編をつくることはできないだろうが、この1作だけでも後世に残る仕事をしたといっていい。誰もが知っていて、誰も知らなった物語。かぐや姫の物語にここまで息をのみ、胸をつかまれてしまうとは思わなかかった。
セーラームーンR』。号泣したまんが映画。セーラームーンプリキュアと違ってあまり殴り合いをしないのが私としては物足りないのだが、本作は劇場版とあってフィジカルな戦闘シーンがあり燃えます。私はセーラージュピターが好きなので、ジュピターが序盤に敵の攻撃で吹き飛ばされ、電話ボックスに激突する場面にはドキリとさせられる。過酷すぎる展開で女児を絶望の底へ叩き込んだシリーズ第1作の最終回と第2作の1クール目「魔界樹編」を織り交ぜリメークしたような内容だが、それぞれにあった欠点を克服し、完成度を高めている。ミュージカル的演出のクライマックスは全シリーズ通しても屈指の名場面だろう。5人の中でどうして月野うさぎが主人公なのかという疑問への回答にもなっている。
8位。説明不要でしょう。丁寧なシナリオとアニメーションが持つ豊かなイマジネーション、活劇性が高度に融合した傑作。4位の『プリンセスと魔法のキス』もだけど2010年公開のアニメはすごかった。続編の日本公開を切に願います。
9位。見るたびに新たな発見がある。SF映画ベストでも入れるかどうか迷った映画史に残る怪作にして名作。ボッシュの地獄絵をベースにしたとおぼしき不気味なキャラクターや陰鬱な背景、ひとびとの気色悪い表情、センス・オブ・ワンダーにあふれた世界観…一度見たら忘れられない。ターセム監督の『ザ・セル』で挿入され、印象に残っている人も多いと思う。ワンシーンワンシーンが美術品のように甘美で美しく、サイケデリックなサウンドトラックも効果を上げている。ストーリーはいまだによくわからないけれど、折に触れて見返すとおもう。ちなみに昨年リリースされたBlu-rayは元祖「進撃の巨人」という冗談のような紹介のされ方をしているが、シネフィルイマジカの商品ラインアップの中でもベストといっていい充実したパッケージ。特典で収録されたラルーの短編作品「かたつむり」はさらに狂っていて笑った。
10位にはドラえもん映画を。宮崎駿と同い年であり、東映動画の同期でもある芝山努。多くのアニメーターに影響を与え、一流の才能を持っていたにも関わらず、「作家」宮崎とは対照的に職人的にまんが映画をつくりつづけた。劇場版ドラえもんはシリーズ最多の22作を監督。独特の恐怖演出に定評があり、『アニマル惑星』、『パラレル西遊記』の2作はその頂点だろう。そんな芝山の最後の『ドラえもん』監督作が本作。キャスト一新前の最終作でもあり、まさに有終の美を飾る傑作になった。クライマックスのカーチェイスはおなじみの仲間たちが力を合わせるストレートに燃える展開であり、アニメーションの快楽に満ちている。のび太とイチの友情を描く手つきも丁寧だ。しずかちゃんの可愛さはシリーズ屈指ということも言い添えておく。
と、こんな感じです。規定でテレビシリーズを外さなくてはなりませんでしたが、個人的にはテレビシリーズのエピソードにも今回の10本に比肩する作品があるので紹介しようとおもいます。ほとんどが子供のころに本放送または夕方の再放送で見たもので、私にとってはどれもかけがえのない映像体験です。

赤毛のアン』#20.「再び春が来て」(高畑勲

Anne of Green Gables/1979
個人的には長編含めて、高畑勲のベストワークといいたい1本。高畑自身は「アンの気持ちがわからないから原作通り忠実にやるしかなかった」と言っているが、そんなことは嘘だと思う。アンがグリーン・ゲイブルズに引き取られて丸1年となる「記念日」を描いたエピソードは、ほとんどがアニメオリジナルのストーリーでありながら、アンとマシュウ、マリラの関係と心情を完璧に描破しているからだ。3人のキャラクターを理解していない人間にはこんな挿話を描くことは絶対にできない。「マリラにとっては何でもない日だと思うけど、自分にとっては人生が変わった大事な日」というアンの言葉を聞きマリラは、自分にとっても1年前のきょうは「人生が変わった日」であり、アンの存在のかけがえのなさを悟る。そんなことはせりふでもナレーションでも告げられない。ただマリラの沈黙によって語られるだけである。『赤毛のアン』にはほかにも傑作、名作と呼べる回がたくさんあるが、高畑演出で本当によかったと思えるこの回を選ぶ。

うる星やつら』#62.「どきどきサマーデート」(押井守

Urusei Yatsura/1982

うる星やつら』の劇場版第2作『ビューティフル・ドリーマー』を今回のベストで挙げる人はけっこう多いだろう。しかし、私にとって『うる星』の魅力はやっぱりラブコメだよなとおもう。スラップスティックな鬼ごっことハイテンションなせりふの応酬、そしてあたるとラムの甘酸っぱい恋愛模様。こうした要素がバランスよく盛り込まれ、なおかつキャラクターが生き生きと描かれているのがこのエピソードだ。あたるとラムのロマンスを真正面から描くエピソードはテレビシリーズでも何度か登場するけど、ちょっとシリアスすぎるんだよな。その点、「どきどきサマーデート」はあくまでコメディとしての面白さを優先していて好きだ。序盤で甲子園のテレビ中継をラムが居間で見ている夏らしい導入に始まり、相変わらずほかの女の子を電話で口説いているあたるのシーンへのスムーズなつなぎも見事。電話帳を取り合う追っかけっこも活劇性に満ちている。レストランでのラムの大食いシーンもいい。登場人物がなんかむしゃむしゃ食ってるシーンも『うる星』の魅力ですよね。

魔法使いサリー』♯1.「はじめましてあたし夢野サリーです」(葛西治)

Sally the Witch/1989

89年版の第2シリーズの第1話。一度は魔界に戻ったサリーが再び人間界に戻ってくるという第1作の続編(厳密にはパラレルワールド的な後日談)としてつくられている。友達がピンチに陥り、満を持してサリーが魔法をつかう場面で鳥肌が立つ。魔法を使うことで友達の中にある「夢野サリー」の記憶を消えてしまう。記憶をなくして初対面のように接する親友たちにサリーは「はじめまして」と気丈に自己紹介するのだった…。イントロダクション的な第1話のなかに魔法少女の寂しさをさりげなく忍ばせた理想の第1話。それにしても、第2シリーズはなぜソフト化されないのか。2年近く放送されたし、人気もあったと思うんだけどな。ザッツ東映アニメな最高のオープニングも含めて思い入れが深い。

おジャ魔女どれみドッカ〜ン! 』#40.「どれみと魔女をやめた魔女」(細田守

Ojamajo Doremi Dokka~n!/2002

そんな魔法少女の孤独をほとんど極限まで突き詰めすぎたのがこの話。言わずと知れた細田守演出です。見ていない人にはぜひ見てほしいので多くは語らないことにします。

ルパン三世 PART2』#99.「荒野に散ったコンバット・マグナム」(吉田しげつぐ)

Lupin the Third/1979

大和屋竺の脚本回。第2シリーズでは宮崎駿が演出した2作が突出して有名ですが、私は次元が好きなので本作と「バラとピストル」(同じく大和屋の脚本)、「国境は別れの顔」、「次元と帽子と拳銃と」がベスト4です。ほかには東宝チャンピオンまつりで上映された「ベネチア超特急」、高橋伴明脚本の「女王陛下のズッコケ警部」、ナンセンスコメディの名手浦沢義雄のデビュー作「カジノ島・逆転また逆転」も大好き。でもあえて1本選ぶならやはり本作でしょう。アバンタイトルのカーチェイスからすでにルパン的な活劇に満ちている。次元と宿敵ストーンの対決とルパン一味のお宝強奪作戦が同時並行で描かれ、終盤で見事に収束。「荒野に散ったコンバット・マグナム」ってそういう意味か…と笑ってしまう。次元とストーンの決闘から国境脱出までをスピーディーに描く手つきは秀逸の一語。

地獄先生ぬ〜べ〜』♯16.「鬼の手使用不能!!旧校舎の怪人」(貝澤幸男)

Hell Teacher Nūbē/1996

現在放送中のドラマ版はあまりにひどい出来だったため2話目で視聴をやめてしまったが、たった1年だけ放映されたこのアニメ版はいま見返しても1話1話よくできているとおもう。最近CSの再放送で20年ぶりくらいに見返したけど、どのエピソードも面白かった。本格的なホラー描写と健全なお色気表現、魅力的な脇役たち、本当に『ぬ〜べ〜』っていいアニメだったなあ…。第16話は強力な妖怪に取りつかれて戦闘不能になったぬ〜べ〜を助けるため、子供たちが奮闘するというイレギュラーな展開。数話前に登場した凶暴な妖怪の力を借りるという危険すぎる作戦も含めて、手に汗握る展開で当時ドキドキしながら見たことを覚えている。

妖怪人間ベム』#9.「すすり泣く老婆」(若林忠生)

Humanoid Monster Bem/1968
人生史上最大のトラウマアニメ。なぜか日曜日のお昼頃に再放送されていて、毎回怖すぎて「もう来週は絶対見ない」と誓うんだけどやっぱり見ちゃうという感じだった。大人になってDVDボックス買って見返したけどやはり怖かったですね。ほとんどのエピソードが面白いのですが、少年ながらにショックを受けたのがこの第9話。友達になった盲目の少年と母親を助けるために戦い抜いたベム、ベラ、ベロを待ち受けたのは「お前たちも仲間だったのか」という理不尽な誤解と差別であった。母親に手厳しく追い払われ、泣き出してしまうベロ。報われない正義というものがこの世にはある。それでも正しい行いをやめる理由にはならない。きびしくも尊い信念を一本のアニメに教えられたのだった。

魔法の天使クリィミーマミ』♯46.「私のすてきなピアニスト」(望月智充

Creamy Mami,the Magic Angel/1983

クリィミーマミ』は特に後半が傑作が多くて異色ホラー「マリアンの瞳」、本格的な怪獣映画「ジュラ紀怪獣オジラ!」、サスペンスタッチの「悲しみの超能力少年」、爆笑コメディ「立花さん女になる」、「恐怖のハクション!」など目白押しなのですが、まあ一般的な人気も高い本作に落ち着きます。ピアノを弾けなくなった青年と魔法の力だけで大人の女性になったマミ(ユウ)の淡く、かりそめのロマンス。魔法少女の設定を最大限に生かしたラブストーリーとはこういうものだと思う。私が綾瀬はるか主演の『ひみつのアッコちゃん』に求めていたすべてが30分弱のアニメには詰まっている。空港まで見送りにきながらも「もう嘘をつきたくない」からマミに変身することができず、結局声をかけられないままユウが走り去る。「LOVEさりげなく」のピアノバージョンが流れる場面の完成されたメロドラマ性に落涙する。

以上です。書くのに休み1日使ってしまいました。

『マレフィセント』(ロバート・ストロンバーグ)―英雄なんかになりたくない

Maleficent/2014/US

 ディズニーヴィランの中でも個人的に最も好きなマレフィセントが主役の映画と聞いて期待が高まった。そもそも『眠れる森の美女』じたいが謎めいた作品である。マレフィセントはなぜ城に招待されなかったのか。国王や妖精たちとは顔見知りらしく、劇中で何らかの確執をにおわせてはいるが、背景は十分に説明されないまま終わってしまう。王子がドラゴンを退治し、オーロラにキスをして目覚めさせる一連のくだりも駆け足なうえにせりふらしいせりふもなく、シナリオが洗練された現在のディズニー映画に見慣れていると、かなり面食らう。もちろんアニメ映画として傑作であることに変わりないが(くわえてBlu-rayはセル画アニメのソフトとしては最高水準の商品)。余白が多いからこそ、スピンオフ向きの作品だとおもったし、予告編を見るとアンジェリーナ・ジョリーマレフィセントエル・ファニングのオーロラもビジュアル的に申し分ない。これは傑作になる、とほとんど確信していた…していたのだが。もう私はただただ悲しいです…。以下、ネタバレフィセント。
 『キャリー』(ブライアン・デ・パルマ)のクライマックスが好きだ。学校ではいつもいじめられてばかりで特別扱いされたことなんて一度もない。家では狂信的なキリスト教原理主義者の母親と息が詰まりそうな生活を送っている…。誰からも愛されたことがなかったキャリーが一瞬だけつかみかけたささやかな青春の輝きすらも、クラスメートの心無いいたずらで無残に奪われてしまう。キャリーは封じ込めていた力を解放し、世界に復讐するのだった。
 世界は自分を見捨てた。そんなふうに感じる瞬間が誰にでもあるとおもう。何もかもうまくいかず、誰にも気持ちを理解してもらえない。自己憐憫すら通り越して、ただみじめで、やるせないだけの日があっただろう。私にはあった。だから『キャリー』のクライマックスは、すごく悲しくもあるのだけれど、同時にあの日のみじめな自分をなぐさめられているような癒やしを感じる。
別に特別鬱屈した人生を送ったとは思わないが、小さい頃から「悪者」に惹かれた。ヴィランというのも気が引けるくらい醜くて、弱いやつらが好きだ。見捨てられ、蔑まれ、誰からも愛されない孤独な魂が、復讐の刃を抜くときのカタルシスが好きだ。強くなくてもいい。ヒーローの前に無残に敗れ去ってもいい。今でも『ウルトラセブン』で一番好きな宇宙人はペガッサ星人だったりして。アメコミヒーローの映画のなかでも『バットマン・リターンズ』がいまだに最高峰だ。
最近では『アメイジングスパイダーマン2』で、エレクトロとグリーン・ゴブリンが手を取り合う場面もあまりの感動に震えた。『アナと雪の女王』における例の「Let it go」のシーンも、孤独でゆがんだ魂が解放されるエモーションにあふれているから名シーンたりえたのだとおもう。

 『マレフィセント』はどうか。まず冒頭、マレフィセントの生い立ちからすでに違和感があった。りっぱで美しいツバサを持った妖精の国の特別な存在。誰からも祝福され、愛されている最強の妖精なのだという。心の清らかなマレフィセントは人間の国の少年と心を通わせ、やがて愛し合うようになる。しかし少年の心は人間界の野望にむしばまれ、離れていき、ついには決定的な決裂を迎えるのだった…。昨年の『オズ』における西の魔女のあつかいでも同様のことをおもったのだけれど、ヴィランがダークサイドの堕ちる理由が特定の男に裏切られたという個人的な恨みではたしていいのだろうか。それなら、その人に復讐すれば、ある程度解決してしまうではないか(実際それで、解決してしまうわけだが)。私はあんなに冷酷で、傲慢で、だからこそ大好きだったマレフィセントが、そんな矮小な理由で魔女になったなんて知りたくなかった。というか、信じたくないです。これって誰からも祝福されていたビューティフルピープルが、一瞬いやな男に引っ掛かってグレたけど、結局ビューティフルピープルでしたーって話じゃないですか?そんなの、もうヴィランじゃないよ!あんまりだ!わーん!
 私の主張がいくぶん独り善がりだということもわかっている。ただ、私が気になるのは、マレフィセントを英雄化するために、別の存在を「悪」に仕立ててしまっている点だ。これね、現実の社会でもじゅうぶんありうる物語の危険性だとおもうんですよ。日本、アメリカ、中国で全く別の戦争史観があって、それぞれ多少なりとも「神話化」「物語化」しているわけでしょう。そしてたがいの戦争史観にかんしては捏造だと固く信じて疑わない。『マレフィセント』ではヴィランの視点から物語を再構成することでせっかく「悪」のあり方に想像力を働かせることができたはずなのに、結局「いいやつと悪いやつ」に単純化してしまっている。いずれにしてもあまり上品なやり方ではないとおもう。
 久しぶりのブログなのにただ悪口を言っただけになってしまったので一応フォローしておくと、アンジーのマレフィセント像じたいはよかった。製作総指揮に入っているだけあって思い入れが感じられた。特にオーロラに呪いをかける場面は本作の白眉だろう。ダーク系を基調とした照明と色彩設計は見事。城の美術もよくできているし、マレフィセントが繰り出すグリーンの魔法もうつくしい。アンジーの演技の驚異的な完コピぶりもあいまってアニメ版のほぼ忠実な再現。図抜けた完成度を誇っている。冒頭から違和感でぐらぐらになっていたが、この場面は素直に感動した。あとサム・ライリーが演じるおつきのカラス、ディアバルもよかった。アニメ版のカラスはなかなか優秀で魅力的なのだ。苛立ったマレフィセントが部下に当たり散らした後に「まったく悪の軍団の風上にも置けないよ。やっぱりあんたが頼りだ」みたいなことを言うシーンがすごく好きだったので、カラスとのつながりがていねいに描かれていたのはうれしかった。『アナと雪の女王』と本作によって「魔女との共生」というディズニー映画の新たな軌道が示されたことも大きいとはおもう。クルエラを主人公にした映画企画もあるが、はたしてどうか。

 

2013年によく聞いた音楽

例のごとく音楽もひっそりとふりかえります。あいかわらず発見や面白みのないラインアップです。なにしろ10代のころから音楽の趣味がほとんど変わらないのです。

COMEDOWN MACHINE

COMEDOWN MACHINE


ストロークス起死回生の5作目。まだ自分がストロークスに夢中になれるなんて。ファーストは15歳の私に、コロンブスの卵のような明快さでロックンロールを「思い出させて」くれました。今回の5枚目は久々にその感覚を思い出した。セカンドに少しだけあった横ノリ曲も増えて大満足のでき。最高。かっこいい。
MBV

MBV


まさかマイブラの「新譜」を聞く日がくるなんて思いもしなかった。あんまり突然だからびっくりしたよもう。さらにびっくりしたのはその内容がまったくもってマイブラでしかなかったこと。22年のインターバルは感じさせず、『ラブレス』の1年後とかにひょっこりリリースされたような気すらしてくる。マイブラのフォロワーはたくさんいますが、マイブラの音楽はやっぱりマイブラにしか出せないんだなと胸が熱くなりました。
RANDOM ACCESS MEMORIES

RANDOM ACCESS MEMORIES


ただただクールでセクシーなアルバム。でも聞けばまぎれもなくダフパンなのだ!楽曲単位でことし一番聞いたのは「Get Lucky」。ファレル・フィリアムスをフィーチャーしたこともあり、長らく待っていたN.E.R.Dの新作を聞いたような喜びもありました。
重いので閉じます。

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2013年映画ベスト

 鉄板だったはずのベストAVエントリの伸び率がいささか悪いことに困惑しつつ、今日は映画を振り返ります。今年もいろいろありました。恋人ができたと思いきやあえなく破局したりとか。それからラジオで映画のことをしゃべる機会もありました。でも私はやっぱり書く方が向いているなあとおもった。今年の新作観賞本数は少し少なめで76作。例年どおり悩みに悩みこねくり回した挙句に選んだ10本はこちらです。

1.『横道世之介』(沖田修一)

Yokomichi Yonosuke/2013/JP

2.『かぐや姫の物語』(高畑勲

The Tale of the Princess Kaguya/2013/JP

3.『ペコロスの母に会いに行く』(森崎東

Pecoross Meets His Mother/2013/JP

4.『ジャンゴ 繋がれざる者』(クエンティン・タランティーノ

Django Unchained/2012/US

5.『モンスターズ・ユニバーシティ』(ダン・スキャンロン)

Monsters University/2013/US

6.『きっと、うまくいく』(ラージクマール・ヒラーニ)

3 Idiots/2009/IN

7.『ルビー・スパークス』(ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス)

Ruby Sparks/2012/US

9.『パラノーマン ブライス・ホローの謎』(サム・フェル、クリス・バトラー)

ParaNorman/2012/US

 昨年に続いて日本映画が1位となった。ことしは過去10年間でもいちばん日本映画の新作を見た年になったとおもう。仕事で見たものもけっこうあるけど、『ガッチャマン』など一部を除けばかなり満足できたし、一時期と比べて水準が高くなっていると感じた。昨年、『桐島、部活やめるっていよ』や『サニー 永遠の仲間たち』の登場人物を私は愛してしまっていると書いたが、今年は『横道世之介』がそんな作品だった。世之介(高良健吾)の奇妙な言動を思い出してはくすりと笑ってしまうことが今でもあるし、そんなとき私はとても幸せな気持ちになれるのだ。人生における取るに足らない一瞬を不意に思い出し、笑ってしまうことが誰にでもあるとおもう。『横道世之介』はそうした「思い出すことの幸福」についての映画である。すごいのは作品そのものが私にとって、たびたび記憶から取り出さずにはいられないくらい、いとおしい「思い出」になってしまっているという点だ。もはや私にとって『横道世之介』は映画でなく記憶になってしまっている。沖田映画特有ののんびりとした時間感覚は人によってはひどく冗長に思えるかもしれない。しかし、そもそも人生の楽しみとは経済や効率とは無縁のところにあるのではないか。つかみようのない楽しみや幸せを切り取るとき、沖田監督は卓抜した資質を発揮する。こうした資質が、物語のメッセージとこれまで以上にうまくマッチしたのが『横道世之介』という傑作だ。信じられないほどの多幸感が全編に横溢し、見た後には一抹の寂しさがともなう。一番近い作家はジャック・ロジエだろう。ロジエもまたバカンスで若い男女がきゃっきゃと遊んでいるだけで一本の映画にしてしまう。無価値な遊戯にこそ映画でしか表せない輝きが宿るのだ。
 『かぐや姫の物語』について、あれこれと考えて文章を準備していたが結局書ききれないまま、年末を迎えてしまった。この作品がもつ豊かなイマジネーションや生命感をとてもじゃないけど言語化できなくて、本当にもどかしい。高畑勲には『十二世紀のアニメーション』という名著があるが『かぐや姫〜』は「二十一世紀の絵巻物」といっていい。誰もが知っていて、誰も知らなかった物語の強靭な美しさにうたれる。たけのこと捨丸が盗んだうりをともに食べるときの妖しい官能を思い出そう。子どもたちがキジを追い立てるときの高揚感は!絶望したかぐや姫が屋敷を、山を、走り抜ける場面の野蛮な活力は!いちいち挙げていくときりがないし、なんだかばからしくなってくる。何もかもが新しいようで、それでもやはり一連の高畑作品でつむがれてきたさまざまな要素が生きているのにもうならされる。『かぐや姫』を見た後だと、たとえば『おもひでぽろぽろ』とか『となりの山田くん』、『太陽の王子ホルス』ですらずいぶん違った印象になりそうだ。いやいやそんな規模の小さな話でもない。作品を見る前と見た後で、世界の捉え方が決定的に変わってしまう、そんな作品が世の中にはいくつかあるが、『かぐや姫』もまたそうした映画のひとつになるだろう。
 『ペコロスの母に会いに行く』。『横道世之介』と同じく記憶についての映画である。作品については先日書いたのでそちらを見てほしい。先日Eテレで森崎監督のドキュメンタリーを放映していた。本作は認知症の女性を扱っているが、森崎監督も自身の記憶力、思考力の低下を痛切に感じていたという。正直、驚いた。映画はこれまでの森崎映画と変わらないエネルギーとみずみずしさにあふれていたからだ。私にとっては自分の日々の暮らしと映画の中の物語をつないでくれる、とっても大事な一本でもある。それが森崎東監督の作品でほんとうにラッキーだった。これが1位でもよかったんだけど、3位に置いたのはたぶん『ペコロス』はこれから年を重ねるともっともっと好きになれるとおもったから。
 上位3本を日本映画が占め、外国映画のトップはクエンティン・タランティーノの『ジャンゴ』となった。タランティーノは娯楽と通俗を裏切らない。いつも晴れやかな表情で私を映画館から追い出してくれるから好きだ。前作『イングロリアス・バスターズ』で完膚なきまでに叩きのめされたいけすかないドイツ人だったクリストフ・ヴァルツが、今回は正義感と誇りにあふれたドイツ人として登場する。キング・シュルツの出演するシーンはどれも最高なのだけど、私が一番ぐっときたのは人種差別者たちに向かって「ベートーベンはやめろ!」と叫ぶシーン。自分の出自に誇りを持つなら、こういう形でありたいとおもう。
モンスターズ・ユニバーシティ』。ここ数作は低調気味だったピクサースタジオだったが、大ヒット作『モンスターズ・インク』の前日譚でまさかの起死回生。事前の期待値が低かったこともあり、満足度はことし一番の伸び率だったかもしれない。クライマックスはまるでアルドリッチの映画のようだった。未熟な弱者たちがほとんど成り行きで力を合わせるという展開(『ヱヴァ:破』とか)が好きだ。マイクとサリーそれぞれの自己実現とコンプレックス克服の瞬間でもあり、名コンビ誕生の瞬間でもある。モンスターが人を脅かす場面があんなに泣けるなんて。最底辺フラタニティ、ウーズマ・カッパの面々も久々にピクサーらしくてよかったし、前作では少しかわいそうだったランドールのキャラクターが深められているのもうれしい。ラストのサリーとマイクの会話はほとんどロマンティック・コメディのそれである。コンビが学歴ではなく、底辺からキャリアを積んであの場所にたどり着いていたことにもぐっとくる。March Fourth Marching Bandによる陽気なテーマ曲も最高だった。
 『きっと、うまくいく』はアメリカ映画のような洗練されたシナリオ構成にインド映画ならではのサービス精神を盛り込んだ最終形態ともいうべき作品。主人公たちの大学時代を描く青春パートとかつての友人の消息を追うミステリー要素が絶妙に絡み合い、約3時間の上映時間、一切弛緩することなく突き進んでいく。ベタすぎるギャグ、脇役の動かし方、ミュージカルシーンももちろんいい。クライマックスやオチで生きてくるボールペンの小道具の使い方など本当に巧い。ボリウッド映画はことしも楽しめました。同時期上映の『タイガー 伝説のスパイ』『命ある限り』『闇の帝王DON』すべて見ましたが、大満足の出来だったし、小品の『スタンリーのお弁当箱』もよかった。『オーム・シャンティ・オーム』もスクリーンで見られてよかった。今後もインド映画はどんどん輸入して、定着してくれればいいなと切に願っています。
 『ルビー・スパークス』。公開は昨年末ですが地元では遅れたのでここに。『(500)日のサマー』も『ブルー・バレンタイン』も平気で楽しんでいた私は『ルビー・スパークス』を前に完全に打ちひしがれたのだった。ポール・ダノ演じる主人公が劇中でしでかす数々の間違いを、私もやらかしたことがある。人を愛しているふりをして結局は自分を愛しているだけの呆れたクズ人間が私だった…これまでの恋人達たちに土下座して謝りたい。
 年末に見た『ゼロ・グラビティ』はこの位置に。映像体験としては圧倒的だったし、傑作だとおもうが、象徴性がやや前面に出すぎた気もする。音楽もこの際なくてよかったのでは、と感じなくもないが、好みの範疇でしかなく欠点にはならないだろう。壮絶な映像を見せられたあと、宇宙服を脱いだサンドラ・ブロックの肉体に息をのむ。
 『パラノーマン』は『コラライン』のライカスタジオ製作の人形アニメーション。評判はすこぶるよかったが、地元では公開がなくブルーレイでの観賞となった。劇場で見ていればもう少し上だったかも。ホラーマニアの少年を主人公にした許しと相互理解の物語。人は話し合いによってよりよく振舞えるはずだというポジティブな人間観に貫かれている。王道ではあるが、こういうテーマを語るとき、やはりアメリカ映画は強いなと感じる。つづく
 『42』も『パラノーマン』と同じくアメリカ映画らしいポジティビティが貫かれた作品だが、本作のそれはより傷だらけでしたたかだ。ヘルゲランドはクラシックな演出に徹しつつも、ここぞというところでドラマを盛り上げ、実話を神話に昇華してみせる。列車に乗ろうとしたジャッキーが近くにいた黒人少年にボールを投げる。走り出した列車を少年が追いかけていく…ただそれだけの場面にどうして涙があふれてしまうのか。キャリア最高の名演を見せるハリソン・フォードを始め、役者陣もすばらしい。最大の勝因は、主人公ジャッキー・ロビンソンを演じたチャドウィック・ボーズマンを初めとした黒人俳優たちの美しさだ。ボーズマンの精悍な顔立ち、血の通った身体性、誇りに満ちた振る舞いはまるで聖職者のようである。実際にこの映画はかなり意図的にロビンソンをキリストになぞらえてもいる。キャラクターよりも顔や運動が心に残るんですよね。妻役のニコール・ベハーリー、スポーツ記者のアンドレホランドもいい。
 続いて次点、のなかで特によかった5本です。 

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『ペコロスの母に会いに行く』(森崎東)―歌と記憶とこのまちと

"Pecoross Meets His Mother"2013/JP

『007 スカイフォール』のエンドクレジットに「長崎市 軍艦島」の文字が日本語で登場したときは、客席がにわかにどよめいた。『横道世之介』から『ウルヴァリン:SAMURAI』に至るまで、私の地元長崎は今、ちょっとした「まつり」のさなかにある。映画の中で見慣れた(あるいは見慣れない)風景や聞き慣れた地名、方言が登場するのはふしぎでこそばゆい。昔から映画が好きだったが、坂道と猫と年寄りばかりがやたらと多いこの街なんて、映画の世界から一番遠く離れていると思っていた。『ペコロスの母に会いに行く』は、長崎市で活動する漫画家、岡野雄一氏の一連の作品を、島原市出身の森崎東監督が映画化したものだ。長崎県出身の岩松了が主演を務め、原田貴和子、知世姉妹も登場。にっかつロマンポルノで活躍した佐世保市出身の白川和子まで顔を出す。地元ロケのシーンが全編のおよそ9割を占める。長崎の映画ファンには夢のような企画である。もちろん森崎監督最後の作品(と本人は語っている)という意味では、いちローカル映画の枠にとどまならない日本映画史における重要作だ。キャストやスタッフも森崎の映画でなければここまでの水準は実現しえなかっただろう。そんなすごい映画が、私の住む街と地続きにあることが今でも信じられない。
 しかし、私以上に「信じられない」と感じているのはほかならぬ原作者の岡野氏かもしれない。映画『ペコロス』製作の経緯はとても変わっている。実際の岡野氏は劇中の岩松の風貌さほど変わらない、人の良さそうなハゲ頭の中年男だ。東京で編集者として仕事をした後(このころ同じく長崎出身の漫画家・丸尾末広の『少女椿』を担当したという)故郷に戻りタウン誌の編集などを経て、フリーでまんがやエッセイを書いていた。ビートルズ直系のメロディに長崎弁の歌詞を載せた曲でミュージシャンとしても活動している。バラードはホワイトアルバム期のジョン・レノンの書く曲に似ていて特に好きだ。認知症の母親とのやりとりをエッセイ風につづる作品は数年前から描いており、長崎市内で小さな原画展を開いたりもしていたが、まだまだ知る人ぞ知る極めて地道な活動であったと記憶している。ところがどういうわけか、2年前に自費出版した『ペコロスの母に会いに行く』は地元の書店でかなり売れ、その後SNSを通じて全国的な反響を呼んだ。それを見つけた「素浪人」という耳慣れない制作会社が映画化を企画という。初めて映画化のニュースを聞いたときは正直半信半疑だった。「え、ペコロスって?あの岡野さんの?森崎東が?…うそだあ」とおもった。そもそも、ボケた母親を介護するハゲた中年男の話なんて映画になるのだろうかともおもった。いや岡野氏の原作はすばらしい。すばらしいが、映画化にあたって多少は「一般向け」にアレンジしてしまいそうなものだ。しかし森崎東は原作の持ち味であるユーモアとペーソスをほぼ100%忠実に生かしきっている。岩松はしっかりとハゲメークを施し、せりふも完全な長崎弁で押し切った。地元出身の岩松と原田貴和子はともかく、ネイティブが聞いてもほとんど違和感のない赤木春恵加瀬亮の達者ぶりには驚いた。
 おおよそ映画になりそうもない物語。長崎でなくとも、日本全国どこにでもありそうな物語。にもかかわらず『ペコロス』は極めて映画的であり、そして長崎という街から切り離せない。劇中では、山の傾斜にへばりつくように家が立ち並ぶ長崎独特の風景が随所に挿入される。せりふにもあるが、人々がごく日常的に坂道や階段を上り下りするこの街では「ぜんぶが見える」。だからこそ、街に息づく人々の生活が確かに実感できる。長崎っていい街だなと少し自慢におもった。行きは風を切るように自転車で駆け降りても、帰りはその自転車を重いと毒づきながらのろのろと手で押して歩く。エスカレーターでどちらに並んでいようが後ろから舌打ちされることはない。なぜかお墓で弁当を広げ、花火を上げる。年に1度、夏の暑い日に人々は歩みを止めていっせいに目を閉じる。そんな風変わりな街で暮らす名もなき人々の営みが、極めて映画的に、ダイナミックに飛翔していく。見る者はなんだか勇気が湧いてくる。その高揚感は、まぎれもなく森崎映画の醍醐味なのだった。
 森崎映画では歌がしばしば重要な役割を持っているが、『ペコロス』ももちろん数々の歌に彩られている。とくに冒頭、みつえの回想シーンの中で女学生たちが歌う「早春賦」(宇崎竜童が指揮をしている!)や、グループホームの部屋でぽつんと座るみつえの口をついて出るでたらめな「でんでらりゅうば」は、彼女の混濁した記憶と密接に結び付いて、効果を上げている。中盤、ゆういちがライブハウスで歌う「寺町ぼんたん」は、原作者の岡野氏の代表曲のひとつ。「ちんちん伸びたり縮んだり〜」としょうもない歌に聞こえますが、じっさいは「一日ん伸びたり縮んだり」と歌っていて、どちらの意味でも通るように考え抜かれた歌詞になっている。このあたり、いかにも森崎監督が気に入りそうなセンスですね。ちなみにライブハウスの場面の冒頭で歌っている的野祥子さんの「Happy Birthday」は角煮まんじゅうのCMソングとして地元の人間で知らぬ者はいません。
 ハゲメークによりペーソスを増した岩松了の軽妙さ、長崎の夜景にも匹敵する原田姉妹の美しさもすばらしいが、やはり特筆すべきは本作が初主演となった赤木春恵のコメディエンヌぶりだろう。認知症のあぶなかっしいおばあさんをチャーミングに演じる前半部もいいが、後半に進むにつれその目から少しずつ生気が失われていく様子には胸が締め付けられる。記憶が薄れるとともに、かつて母だった人が母ではなくなっていく。その重みに耐えられず、思わず落涙してしまうゆういちを母親が「泣かんといて」と抱きしめる。森崎映画の中でもかなりウェットな場面だとおもうが、慈愛に満ちた赤木の表情が美しい。本作は認知症や介護をテーマにしたハートウォーミングなドラマと思いきや、その実、天草で生まれ、長崎に嫁ぎ、子を産み、年をとった女みつえのしたたかな一代記ものである。ゆういちとみつえのやりとりを中心とした現代のストーリーに、天草で過ごしたみつえの幼少期や長崎でゆういちを育てた日々がフラッシュバック形式で挿入される。これは原作のすぐれた点なのだが、記憶がランダムに呼び起こされる認知症特有の状態を、物語の演出として効果的に用いている。一見、脈絡なく並べられたエピソードからみつえの過ごした人生が少しずつ浮かび上がるのだ。そしてクライマックス、二つの時間軸は、まさに映画的としかいいようのない方法でひとつの糸に収斂していく。見事としかいいようがない。笑って泣けるとはこのような映画をいう。四の五の言わずに見にいくべし。

極私的ウルトラ戦闘シーンBEST30

ウルトラマン』『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンA』『ウルトラマンタロウ』『ウルトラマンレオ』『ウルトラマン80』の全345話の中から、個人的に好きな戦闘シーンベスト30をランキング形式にまとめました。 久しぶりに動画をつくったけど、エンコードが大変だった。そのうち消えるとおもいます。冒頭テロップで「男子が数人集まれば…」と書いたこと、すごく後悔している…。男女も、大人子どもも関係ない!すべてのウルトラ好きの人々にささげます。

30〜26位

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25〜21位

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20〜17位

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16〜13位

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12〜9位

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8〜5位

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4〜1位

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SF映画ベスト10

SF映画ベストテン - 男の魂に火をつけろ!
 今年もやってきました。お題はSF映画!ではさっそくいきます。

1.『ロボコップ』(ポール・ヴァーホーヴェン

"Robocop"1988/US

2.『パプリカ』(今敏

"Paprika"2006/JP

3.『プロメテウス』(リドリー・スコット

"Prometheus"2012/US

4.『月世界旅行』(ジョルジュ・メリエス

"Le Voyage Dans La Lune"1902/FR

5.『ミクロの決死圏』(リチャード・フライシャー

"Fantastic Voyage"1966/US

6.『ウォーリー』(アンドリュー・スタントン

"WALL-E"2008/US

8.『ミクロキッズ』(ジョー・ジョンストン

"Honey,I Shrunk the Kids"1989/US

9.『アルファヴィル』(ジャン=リュック・ゴダール

"Alphaville, une étrange Aventure de Lemmy Caution"1965/FR-IT

10.『バーバレラ』(ロジェ・ヴァディム

"Barbarella"1967/FR

 迷うかなと思ったがすんなりと選べた。選外の候補作は『アビス』『SUPER8』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『妖星ゴラス』『ザ・フライ』『アンドロメダ…』『トゥモロー・ワールド』『禁断の惑星』『ギャラクシー・クエスト』『ロボット』など。SFは間口が広い。「サイエンスフィクション」も「すこしふしぎ」も、どちらもりっぱなSFだともおもうが、id:washburn1975さんの「センス・オブ・ワンダーを感じる作品」というのが結局一番しっくりくる。タイムループを利用したトリッキーな物語も、現実社会と地続きの風刺性も、緻密な疑似科学の説得力も大事だとはおもうが、結局私にとってSF映画の魅力は9割9分くらいはビジュアルである。画で驚かせてくれたり、かっこいいと思わせてくれればけっこう許せるみたいなところがある。だから、初めにこのお題について考えたとき、なんとなく最近10年くらいの映画ばかりになるような気がしていたが、蓋を開けてみるとそうでもなかった。
 ほかの方のランキングをいくつか見てみましたが、今年はわりと王道作品が並びやすいお題だったかなとおもう。私も気をてらわず『ロボコップ』を1位とした。リメーク企画が進んでいるが果たしてどうかって、去年のホラー映画1位の『キャリー』で同じこと思ってた気がする。なんとなく自分の中で「1監督1作品」のルールを設けているので最後まで『スターシップ・トゥルーパーズ』と悩んだが、愛すべき凶悪犯たちの魅力でこちらを。
 2位は『パプリカ』。今氏の築き上げた悪夢のビジュアルはノーランやアロノフスキーを初め世界中にセンス・オブ・ワンダーをもたらしてくれた。
 おそらくリドリー・スコットの『エイリアン』『ブレードランナー』はかなり上位に入ってくるとおもうが、私は完全に『プロメテウス』のとりこです。これが1位でもよかった。なぜならほとんどSFマインドだけでできているから。ブルーレイの音声特典で「久しぶりに楽しかった」というスコットの無邪気さが爆発した異形の傑作。
 このランキングに『月世界旅行』を入れるのはあざといと思われそうだが、100年以上前に作られたモノクロ16分の映像はいまだに私たちをわくわくさせ、想像することの面白さを教えてくれる。そして、月からロケットを落としてみせるメリエス乱暴かつ稚拙な遺伝子理論で人類の起源を片付けてしまうリドリー・スコットの態度は同じくらい純粋でかっこいいとおもう。
 『ミクロの決死圏』と『アルファヴィル』。「SF観」というものが私の中にあるとすれば、その形成にもっとも寄与したのは『ウルトラセブン』だろう。本当は『セブン』で10本選べてしまうくらいなのだけれど、残念ながらテレビドラマは対象外となっているので、「悪魔の住む花」と「第四惑星の悪夢」それぞれの原点とも呼べる2作をラインアップ。
 『ウォーリー』はまず初めにシナリオの素晴らしさがあるが、ウォーリーとイヴの対照的なデザインの妙を含めロボットたちの造形が素晴らしい。基本的にはスウィートでかわいらしいラブストーリーなのだが、そこにはSFならではの手法で皮肉や風刺が織り込まれている。エンドロール後に「BNL」のアイキャッチが入ったときの戦慄。
 スピルバーグ作品は『ジュラシック・パーク』、『宇宙戦争』と悩んだがやはりビジュアル面の圧倒的な面白さで『マイノリティ・リポート』を。ディック作品が1作も入っていないと自分の中では収まりが悪いので。
 『ウルトラセブン』と同じくらい私のSF観形成に影響を及ぼしたのは『ドラえもん』。今回はドラえもん映画は外してしまいましたが藤子・F・不二雄スピリッツを受け継ぐ作品をひとつ入れておきたくて『ミクロキッズ』を入れました。特撮もよくできているし、出演者も好演している。そして犬が可愛い。現代は「ハニー、子供たちを小さくしちゃった!」ですが、『ミクロキッズ』の邦題は素晴らしいですね。昔はよく地上波で放映していたが、最近見ない。
 最後はロジェ・ヴァディムの嫁自慢映画『バーバレラ』。これは本当にくだらない内容で、先日ブルーレイが発売されたので久々に見返したらやっぱりくだらなくて驚いた。でもこの作品は私を含めて多くの人々に愛されている。冒頭の無重力ストリップやセックスマシーン、オルガスマトロンのセンスオブワンダーとよぶにはあまりにくだらないが、決して下品にならないのがずるい。衣装はどれも素晴らしく、今見てもかっこいいとおもう。
 以上です。今年の集計よろしくお願いします!

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編] 叛逆の物語』(新房昭之、宮本幸裕)

"Puella Magi Madoka Magica the Movie Part3:Rebellion"2013/JP

 悲壮すぎるストーリーと深いテーマ性で一躍ムーブメントを巻き起こしたシャフトの傑作アニメの劇場版第3作。話題作なので段階的にネタバレしていきます。テレビシリーズの総集編だった前2部作を経て、今回は完全新作の続編です。一応、前2部作の感想を貼っておきます。
『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ』(新房昭之、宮本幸裕) - Devil’s Own −残骸Calling2−
 というわけで初日にいそいそと見てまいりました。結論からいうとすごく面白かった。1分1秒に多くの情報が詰め込まれ、「この先どうなるのか」と絶えず興味を持続させてくれました。強いていえば中盤の会話劇が少ししつこいかなと思った程度で、基本的にはずっと引き込まれて見ることができた。少なくともスッキリした終わり方ではないです。どのくらいスッキリしないかというと、エンドロールが終わって劇場が完全に明るくなるまで誰ひとり席を立つ人がいなかったほど。ハードな世界観をしっかりと継承ながら、各キャラクターに見せ場があり、テレビシリーズの焼き直しではない全く新しい物語を創出している。シリーズのファンは必見といえます。逆にいうと、まったく予備知識のない観客がついていくことは至難の業とおもう。ただし、全12話のテレビシリーズを見返さずとも、劇場版2部作さえ押さえていれば問題ないです。新房監督自身、テレビシリーズはそれじたいが完結していて、今回の劇場版は全2作の続編であると位置付けているようだから。もちろん、テレビシリーズを全話見ていて、劇場版2部作は見ていないという人でも問題なく楽しめます。ビジュアル面の見せ場について先に触れておくと、劇団イヌカレーによる異空間デザインが相変わらずおぞましく、劇場版ならではのスケールを見せてくれる。特に序盤のぬいぐるみを用いたロトスコープアニメが凝っていてよかった。それから中盤、曉美ほむらと巴マミが繰り広げるジョン・ウーばりのガンアクション。おそらく気の遠くなるような作画枚数を使って、『リベリオン』的なガンガタ(そういえばタイトルも叛逆=Rebellionである)が見事に表現されていてる。この2点だけでも劇場で見る価値が十分にあります。
 『まどマギ』は自己完結型のストーリーだ。『2001年宇宙の旅』を思わせる壮大な最終話には、初見時こそ呆然としたが、作品を見返し、考察を深めるうちに緻密に計算された結末だとわかる。物語にちりばめられた伏線が終盤に進むにつれて回収され、独自の摂理に支配された世界がきれいに閉じられていく。完成された物語ゆえに今回の続編に蛇足感がない、ともいいきれない。しかし私は、完結した「秩序」をはみ出して紡ぎだされる物語のいびつさにこそ惹かれる。というより「秩序への反逆」じたいがこの続編のテーマそのものでもある。
 少し内容に踏み込みます。本作は大まかにいって3幕構成となっている。1幕目は鹿目まどか、曉美ほむら、巴マミ美樹さやか佐倉杏子の5人の魔法少女が力を合わせて活躍する世界。彼女たちは魔女でも魔獣でもなく、ナイトメアと呼ばれる敵と戦っているが、その戦いはさほど危険なものではないらしく、どこか遊戯的である。なにしろ「お茶会」と呼ばれるなぞのテーブルゲームでナイトメアを退治するのだ。セーラームーンプリキュアのようにけれん味たっぷりの変身シーンの後、「プエラ・マギ・ホーリークインテット!」という決めせりふまで飛び出す。キュゥべえにいたっては「キュゥ、キュゥ」とポケモンのようにかわいく鳴く始末だ。見ているとこちらが恥ずかしくなってくるほど、徹底的に「魔法少女もの」のクリシェをなぞっていく。宮本幸裕監督なんかは恥ずかしさのあまり「プエラ・マギ・ホーリークインテット!」の掛け声を絵コンテから勝手に消してしまったほどだという。あとで新房監督に叱られてもとに戻したそうだが、消さないのは正解だった。私たちは『まどマギ』が「魔法少女もの」を裏切る物語だと知っている。だから「まっとうな魔法少女もの」としての描写が過剰であればあるほど、違和感と不安が募っていくのだ。テレビシリーズと同じくイメージを逆手に取った見事な作劇である。テレビシリーズでマミを惨殺した魔女が、なぜかふつうに仲間としてそばにいるのも余計に不安感をあおる。
 そんな中ほむらは、世界に違和感を抱き始め、独自に動き始める。無限にループする自閉的な日常からの脱出を試みようとする展開から『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』を 想起する人も多いだろう。前述したほむらとマミの戦闘によってこの問題が顕在化。物語は、この世界を作り上げたのは誰なのかという謎解きへとシフトしていくのだった。これ以降はかなり重要なネタバレを含みます。ここまで読んでみて、見る気になった人は観賞後に読むことをおすすめします。というわけで以下閉じます。

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