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27年越しの最終話―引き裂かれたヒーロー「ウルトラマン80」の説明責任

 特撮関連記事は、僕が日々綴っている駄文の数々の中でも郡を抜いて自己満足傾向の強い類のものであるという自覚はあるものの、やはり書かずにはおれない。たった30分でこんなにも心震わせるドラマがあるかっつうの。先日放送の「ウルトラマンメビウス」第41話「思い出の先生」は、正しく27年振りに復活した「ウルトラマン80」第51話と捉えても違和感ないファン感涙の秀作だった。それにしても「メビウス」のサービス精神は留まるところを知らないね。今年40周年を迎えるウルトラマンシリーズを総決算するかのよう。若干ご都合主義な世界観統合にイマイチノリきれていなかったコアなウルトラファンもだんだんとスタッフの気迫に心動かされつつある様子。まぁ他人の是非論はさておき、次回は長男ゾフィ、更にエースや新マンの俳優込みの客演も控えている「メビウス」、怒涛の展開に僕は久々に興奮してますよ。
 さて、「思い出の先生」は、1980年放映の同名ドラマの主人公ウルトラマン80の客演回。当時の主役であるウルトラマン80=矢的猛を演じた長谷川初範氏も同役でゲスト出演というだけで盛り上がらずにはおれないわけよ。長谷川初範氏は、歴代ウルトラマンを演じた俳優陣の中では比較的知名度も高いのだが、こと「80」という作品自体は殆ど黒歴史化されていると言っていいほど知名度が低い。青息吐息ながらも1年間なんとか放映したが、度重なる路線変更のためストーリーには一貫性がなく*1後続番組も生まれなかったことから「失敗作」のレッテルを貼られ続けている不遇のウルトラマンだ。不人気のためかビデオソフトを置いているレンタルショップも少なく、少なくとも僕は新宿のツタヤでしか見たことがない。
 「80」の路線変更の中で最も有名なものがウルトラマン80=矢的猛が桜ヶ丘中学の教員であるという設定の消滅だ。現在まで続いている学園ドラマの長寿シリーズ「3年B組金八先生」がこのとき爆発的な人気を得ていたという時代背景が反映されたのは明白なのだが、放映開始当初「80」は特撮ドラマと学園とドラマの両立という企画を打ち出し、主人公矢的猛は中学校教員と防衛組織隊員という二足草鞋を履かされ、本編も学校と防衛基地でのドラマが並行して行われるという前代未聞の設定を有してスタートする。しかしながらロケーションやシナリオ制作の段階で多くの不具合が見られるのは当然のことで、「桜ヶ丘中学」という設定は全12話、つまり1クール分の放映を持って事実上消滅してしまう。その後矢的猛は対怪獣防衛組織UGM隊員としてのみ描かれ、劇中で学校の設定について説明されることが一切ないまま、シリーズは終了してしまう。とは言え、この初期12話は誰もが遭遇する思春期の痛み、哀しみから生まれる負の感情=マイナスエネルギーが怪獣を呼び出すという設定により、学園ドラマと特撮ドラマの融合を図った野心作も多く、一部ではエポックメイキングとしての評価も高い。またウルトラマン80のキレのいいアクションや精巧なミニチュアワーク、スケール感溢れるメカニック描写など、殊「特撮」に関してみれば歴代シリーズでも群を抜いた素晴らしさで、一概に「失敗作」として切り捨てるにはあまりに惜しい魅力に溢れている。ファンにとって唯一耳が痛く、消化不良なのは「桜ヶ丘中学校」の消滅であり、このことが「80」を引き裂き、作品そのものの評価を貶める元凶となってしまっていることは言うまでもない。ウルトラファンの中でも「80」に否定的な見解を持っている人々は少なくない。気持ちはわかるけどね。なにしろこの不自然極まりない路線変更と視聴率的惨敗の後、テレビシリーズとしてのウルトラは、実に16年後「ウルトラマンティガ」まで待たされることになるのだから、ファンの間で「80」に対するルサンチマンが溜まるのも至極当然のことなのかもしれない。
 前置きが長くなった。今回のメビウス第41話「思い出の先生」は、そうやって引き裂かれてしまった「桜ヶ丘中学」という設定にひとつの決着を見せる実に27年越しの最終話として位置づけることが出来るだろう。矢的の意志を継いで教員になった「塚本」は、「ウルトラマン80」第2話「先生のひみつ」では不登校児だった塚本君その人で、今回も本人が演じているという拘りぶり。本編は塚本教師が不登校児に、当時同じく不登校児であった自分に矢的先生が教えてくれた言葉を教えるという場面から始まる。そして一方で、円盤生物ロベルガー2世を追ってウルトラマン80無人島に着陸するところまでがアバンタイトル。もうこの時点で大騒ぎ。さらにOPでの「矢的猛 長谷川初範」のクレジットを見て泣きそうになってしまう。本編スタート、当時矢的猛がクラスを受け持った1年E組のクラスメイト達が桜ヶ丘中学廃校を機に、同窓会を企画する。別人が演じてはいるものの、学校編のメインキャラクターであった「ハカセ」「ファッション」「スーパー」「落語」も登場する。微妙なあだ名が時代を感じさせるよね(笑)視聴者と同様に彼らの心残りは恩師である矢的猛が自分達の前から忽然と姿を消してしまったこと。そして塚本先生はというと、「80」第2話のラストから「80=矢的猛先生」だという確信を持っており、ウルトラマン80出現のニュースを聞きどうしても矢的先生に会いたいとメビウス=ヒビノミライに伝える。塚本の伝言を80に伝え、クラス会の出席を打診するメビウスだが、生徒達に説明なく姿を消し、彼らの卒業を見届けてあげられなかったことへの自責の念から80は彼らとの再会を拒む。で、ここからがかなりご都合主義な展開なのだが、生徒達と先生を再会させてあげたいという学校の願い(!)が硫酸怪獣ホーを出現させ(!)メビウス大苦戦。硫酸の涙を流して泣き叫ぶホーは、80が助太刀に登場した途端、急に大人しくなり、80のバックルビームを浴びて昇天する。そして80に向かって「センセーー!」と叫ぶE組の生徒達は、「ありがとう」という横断幕を広げ「仰げば尊し」を熱唱。80は静かに頷くと飛び立っていく。校庭にたたずむメビウス=ミライのもとへ、矢的猛の姿となって現れる80。「自分の言葉で謝ってみるよ。」と笑顔で屋上へと向かう。
 長谷川初範氏は俳優としては多忙だろうから、出演さえも心配されてはいたが、ラストのみ顔見せ程度に出演という形になった。スケジュールの都合だろうが、今回はこのスタイルが「先生に会えた!」という感動が大きく功を奏していたような気もする。まぁ、人間体で生徒との再会に悩む姿も描いて欲しくはあったが、でもかなり感動した。
 それにしたって、素晴らしい番組じゃないか!これは学園ドラマとしての「ウルトラマン80」卒業スペシャルなんだよ。生徒達は、27年間ずっと心のしこりとして残っていたものがようやく氷解し、卒業することが出来た。そんな風に思わせる。「仰げば尊し」なんてベタなんだけどやはり涙腺緩んでしまった。80先生は生徒達に申し訳なかった、悪いことをしたと自分を責めているけれど、生徒達にとって先生は、いなくなっても掛け替えのない思い出として、ずっと心に残っていて、ずっと大好きで逢いたかったんだろうなと思うと素直に感動するよ。80本編の前12話を観た後だと多分余計感動すると思うよ。こんな風に思い出に残る先生に一人でも出会えていたなら、きっと幸福だと思う。僕は高校の頃に何人かそういう先生に出会ったから、卒業式で「仰げば尊し」歌えなかったんだよな。泣いちゃって(笑)
 登場した硫酸怪獣ホーは元々失恋した少年の哀しみと憎しみが呼び出した怪獣という設定だったのだが、今回引き裂かれてしまった生徒と先生の絆、そして「ウルトラマン80」というドラマそのものの哀しみを象徴するものだったのかもしれない。「失敗作」と呼ばれ続けたテレビシリーズ「ウルトラマン80」は27年の時を経てようやく完結した。

*1:テコ入れのための不自然な路線変更は昭和のウルトラシリーズにはよく見られるのだが。