Devil's Own

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解けない知恵の輪


グリム童話 金の鳥」(平田敏夫
「アウト・ワン」(ジャック・リヴェット
 なんとなく行った東映まんが映画特集での「金の鳥」すげー面白かった。もともと小さい劇場なのに、観客は10人足らずしかいず、しかも前のおっさんは爆睡していた。この特集、もっと沢山行っておくべきだった。今日から始まっているロマポ特集は混んでるだろうな。
 逆にリヴェットの12時間40分の大作「アウト・ワン」は一時間以上前から長蛇の列だった。しかもスタッフの手際が悪く、チケット発券が遅れ直前まで待たされた上に、時間が推してしまってトイレ休憩すらも最小限に削られるという過密なスケジュールだった。途中休憩、走って食料を調達しなくてはならなかったし。ま、12時間で1500円という良心的過ぎる企画なのであまり文句は言えませんが。
 無字幕での上映で内容が把握できたとは言いがたい。字幕があったからといってよくわかんなかったと思うが。とはいえ、ご丁寧にもレジュメが配布されたので大まかなアウトラインはわかったし、かなり楽しんだ。つうても居眠りしてしまったけどね。つうわけで例によって散漫な箇条書き。ここから先色々書いていくが、感想の根底にあるのは「意味わからん!」ということだ。無字幕ということを差し引いてもやはり意味不明だった。インテリ気取りやアート気取りが思わせぶりなカットをこれ見よがしに集積していく映画なら世界にごまんとあるが、最早そういうレベルでもなく、心底わからない。「北の橋」のラストに度肝を抜かれその解けない謎解きにに夜も眠れなくなってしまった経験がある。リヴェットの映画を観た後は決まって白昼夢を見せられていたかのような虚脱感に襲われる。「セリーヌとジュリーは舟でゆく」で洋館から出てきたセリーヌやジュリーのような状態、とまではいかないまでも「北の橋」は当時結構ショックだった。僕にとってリヴェットとはそういう存在だ。「アウト・ワン」も期待に洩れず意味不明だった。しかも12時間。被害は甚大です。「この映画が悪夢のように作用して欲しい」と語っているように、リヴェットのアティチュードも明確だ。

  • いくつかのリヴェット作品に共通して、「アウト・ワン」でも「演劇」に焦点が当てられる。リズムに乗って反復的な舞踏を行うリリの劇団と「死体遊び」のようなテーマでダダイスティックな即興芝居を繰り返すトマの劇団。双方対照的な練習風景の描写に多くの時間が割かれている。
  • 一方でカフェに出入りし、物乞いや借金を繰り返すろくでなしの男女が二人。ジャン・ピエール・レオー演じるコランとジュリエット・ベルト演じるフレデリック。二人は知り合いではなく別々に描かれるが、キャストもキャラクターも観るものが安心して感情移入できるタイプの人間で、事実この映画のガイドのような存在。
  • レオーは聾唖者の役で登場し、奇抜な行動で会場を沸かせた。
  • ところが中盤からレオーは聾唖者ではなくなってしまう。エンドロールのクレジットも第3話くらいまでは、「聾唖の青年」みたいな表記がされているが、喋るようになってからコランと表記されていた。
  • ところがコランはポーリーヌというブロンドの女性に恋をしてしまい、その瞬間から僕にはコランがアントワーヌ・ドワネルにしか見えなくなってしまう。あの髪の毛の撫で方とか、完全に。ドワネ・・・コランがポーリーヌにキスしたいんだけど、全然相手にされない、というくだりが可笑しくていい。
  • 原作のモチーフはバルザックの「十三人組」である。人物を取り巻く環境を緻密に編みこむリヴェットのドラマツルギーにはよくバルザックが引き合いに出されるが、群像劇という側面で、この映画は判りやすくバルザック的だと思う。この映画で実践しようとしていることは「人間喜劇」にとても近い。
  • 3話でのエリック・ロメールバルザックについて講釈を垂れるシーンがよい。聾唖者のレオーと同じく、フランス語が理解できない僕も何のことかわからない感じがよかった。
  • あと第3話は終わり方もよくて、トマとサラがご飯を食べて、そのまま海へ向かっていくラストカットがあまりに美しすぎてくらくらした。
  • 扉や鏡を利用した縦の構図が多く、その巧みさに何度も息が詰まった。観終わって思い出すカットの大半が縦の構図。
  • 4話でジュリエット・ベルトが銃撃戦ごっこをするシーンは可愛すぎて死んだ。
  • 個人的には第5話が一番好きだった。前述したドワネ・・コランがポーリーヌにアピールしまくるくだりもあるし、リリの劇団のホームパーティーのくだりや、みんなで地図を覗き込むシーンとかいちいち胸が躍る。
  • 子どもが何度か登場するが、ものすごくいい。まったくわざとらしくなく自由に遊んでいるように見えるが、そのその行動ひとつひとつが必然性に充ちている気がしてならなかった。犬も絶妙だった。
  • 5話か6話の終盤でコランが本を暗誦しながら*1歩くシーンにも子どもが出てくる。多分一般人だと思うが面白がってついてくるのが何度もカメラに映りこむので笑いを誘っていた。あれもいい。
  • 演劇の練習風景以外もコント風のシーンの集積によって映画ができているので、視覚的に面白く無字幕でも十分に楽しめる。しかし、終盤は謎解きが中心となるためなのか、ダイアログを長回しで捉えたシーンが中心となり、何がなんだかわからず結構しんどかった。
  • ラストもラストのシーンで海辺で笑い転げるトマ。まるでこちらの視線を意識しているかのようだった。「12時間も何じっと見てんだよおめーらバッカじゃねーのか、ひゃっひゃっひゃ」みたいな。そう考えると最後、カメラクルーの影が映りこんでいたのもわざととしか思えない。筒井康隆の小説「笑うな」を思い出した。
  • そして浜辺で美しい夕陽もしくは朝陽に向かって歩き出すトマ。いかにもこれがラストカットといった感慨を呼び起こす。が、唐突に脈絡のない女性へカットイン、そのまま1秒足らずでエンドロール。何なんだあれは、というリヴェットらしい終り方。
  • 12時間半の時間を共有したにもかかわらず、会場に一体感は皆無。疲弊と高揚が入り混じったダウナーな覚醒状態に支配されていた。エンドロールで誰かがひとり拍手しかけたが、誰ひとりとしてそれに乗っからず、拍手の萌芽は弱弱しく消えていった。なぜかそれがこの映画に相応しいエンディングテーマだった気もした。

*1:鏡の前であんとわーぬどわねーるあんとわーぬどわねーるあんとわーぬどわねーると繰り返していたときと同じような手振りで