Devil's Own

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就活終わって思うこと―仮面ライダーキバに捧ぐ

 部屋の窓は駐車場に向かい合わせていて、そこでガキどもがギャースカ遊んでいる。なにやらチーム分けをしているらしく、何度も「わーかれーましょっ!わーかれーましょっ!」と叫んでいる。「別れましょ」というコトバが世の中で最もピースフルに使われている例だと思う。
 あまり好きではない仮面ライダーキバを惰性的に見ていたが、今日はなにやら主人公が戦うことに悩むみたいな話で劇中で何度も「本当にやりたいこと」についての問いかけが行われていた。主人公でライダーに変身する紅渡(くれない・わたる)はバイオリン作りに情熱を燃やす内気な青年だ。本当に内気でウジウジした男の子で、こういったアンチ・マッチョ、アンチ・ヒロイックなライダー像は去年のヒット作「仮面ライダー電王」を踏襲している。そんなことはどうでもいい。人々を守るヒーローであることと血肉持った人間であることのジレンマは、ヒーロードラマで描かれる最も重要なテーマのひとつだ。例のごとくジレンマにぶつかった渡クン「僕はただバイオリンを作っていたいだけなのに、今まで戦ってきたのは正しかったのかな?」といった悩みを吐露し始める。
 それは誰だって自分がやりたいことだけをやりたいに決まっている。しかし「本当にやりたいこと」、というのは果たして存在するのだろうか。それは「本当にやりたいこと」のように思い込まされているだけなんじゃないのか?万人が万人、自分のやりたいことだけをやりはじめたら世の中は大変なことになる。みんながバイオリンを作り始めたら、一体誰がお米を作るのか。劇中で渡クンのバイオリン作りは趣味の域を超えておらず、とてもそれで生計を立てているようには思えない。多分渡クンは十分に財産が残されたお金持ちなのだ。
 「カネを稼ぐこと」と「本当にやりたいこ」とが必ずしも一致するとは限らない。一致するならそれに越したことはないが、世の中はそんなに甘くないということを渡クンは自覚すべきだ。仮面ライダーは架空の物語だが、僕の身近にも多分あなたの身の回りにも渡クンのような人がいると思うのだ。
 大きな就活セミナーなどに足を運ぶと、「自分のやりたい仕事」「自分に適した職場」というようなフレーズがまるでマントラのように唱えられる。もはやセミナーは巨大な「自分探しシステム」と化してしまっていて、「やりたいこと」だの「適した職場」だの「可能性」だのよくわからないドグマに取り憑かれる一方で、その実大半の人間が大手有名企業に群がっていく。まるで宗教だと思って吐き気がしたので、僕はそういったセミナーに一回きりしか行かなかった。
 「働く」のは何のためだろうか?勿論お金をもらうためだ。ではなぜお金をもらうのか?それは多分食うためだろう。みんな「ご飯を食べる」ということをあまりに甘く見ている。本当の意味で腹が減るということを経験したことがない、万人がマリー・アントワネット化しているのだ。だから暢気に「自分のやりたいこと」とか「自分を発揮できる職場」とか言いながら就職活動できるのだ。そうしてそういう奴に限って、本当にやりたいことが見つかっていなかったりするのだ。テキトーに大きなセミナー行って就活サイトに登録して、「面白そう」→「行きたい」という短絡思考でエントリーする。お前ら甘い、甘すぎるよ。メシを食うということを甘く見るな。何もない田舎で泥だらけになって畑仕事とか朝早く起きて寒い海に舟を出すとか、そういう気持ちでやれよ。そんな中途半端な自分探し就活、リストカットと変わらない。もっと覚悟して臨んでくれ、大学のサークル選びじゃないんだ。
 この文章を読んでいる人でこれから就職活動する人もいるかもしれないが、是非ともそういう体のいいドグマに騙されないで欲しい。「就活」や「自分探し」にかこつけて君たちを食い物にしようとする企業に騙されるな!奴らはまるでラリホーマのように「やりたいことをさがしなさぁぁぁい」とか何とかいい続けるが無視しろ。大体そんなことはお前にだけは言われたくねーって奴ばっかなんだよ!「働く」という行為のどうしようもなさをしっかりと見極めて欲しいのだ。あんなセミナー行くくらいならトルストイを読んでいた方がよっぽどためになる。
 10月くらいからやれセミナーだの自己分析だの企業研究だの言っていて、今もって内々定もらっていない人を沢山知っている。2月くらいからぼちぼちと始めて週1とかでのんべんだらりと就職活動していたって内々定貰っている人だって知っている。僕もだけど。そりゃみんなが憧れる有名企業は大変なのかも知れないが、有名企業よりずっと魅力的で面白い会社は結構ある。「やりたいこと」とか言っている奴に限ってそういうところをちゃんと見ていない。
 自己分析なんてどうして就活になってやらなくてはいかんのだろうか。生きるということは成長であり、絶えざる自己否定と刷新の繰り返しなのだから、マトモな人間は誰だってやってなくちゃいけない。だのに今の段階になってたった数ヶ月で自己分析とかおめでたすぎる。そういう空っぽな人間、僕だったら採用しない。
 電車の中や面接の待合室に必死で自己PRや企業情報(しかもウィキペディア!)を覚えている人とかいたけど、そんな行き当たりばったり駄目に決まっている。
 とにかく、「働く」という行為と「食う」という行為の抜き差しならない相関と、その必然性だけはしっかりと自覚した方がいい。