Devil's Own

cinema, music, book, trash and so on...

フランク・ダラボン「ミスト」


 「ショーシャンクの空に」(笑)のフランク・ダラボン監督作。これまでの所謂感動巨編とは一線を画したバッドエンドムービーであるとの前情報だけは得ていたが、まぁ予想の範囲内といったところだろうか。少なくとも膝を打って「大傑作!」とはならなかった。どちらかと言えば嫌いな類の映画ですらあるかもしれません。「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」も「ノー・カントリー」も「ダージリン急行」もそうだが、とかく新作話題作にコネクトできない自分って映画不感症(シネマグロ)なのだろうか。僕は気が小さい人間なので、みんなに褒められている作品を好きになれないと寂しくて仕方ない。夜も眠れない。そうなるといやがおうにも「トウキョウソナタ」への期待が高まるばかりである。

  • アメリカのとある地方都市を正体不明の霧が多いつくす。霧の中には「何か」が潜んでいおり、その中へ踏み込んだら最後、たちまち「何か」の餌食となってしまう。物語は、霧の中のスーパーマーケットに幽閉された人々が恐怖と狂気に駆られていく様を描いている。
  • 多くの人々が指摘していた通り]この映画の中ではふたつの「恐ろしさ」が描かれている。ひとつは、霧の中のモンスターに対する単純な恐怖心、もうひとつが霧の中に幽閉され不安に駆られた人間たちの怖さである。本作で主眼が置かれているのは勿論後者の方であり、確実に恐怖が蝕み、ホッブスの自然状態の如き様相を呈する人々の様子を忙しないステディカムとフォーカステクニックによって観察している。
  • 狂気に蝕まれるスーパーマーケット内の人々の中で特に異彩を放つのがマーシャ・ゲイ・ハーデン演じるキリスト教原理主義者ミセス・カーモディーの存在である。自身を取り巻く状況と黙示録との符号点を見出し、預言者めいたアジテーションによって少しずつ人々を煽動していく。登場人物の中でも比較的良心的なキャラクターとして描かれる副店長オリーの口から「人間は本来は野蛮な存在であり、そのために政治と宗教がある」という科白が洩れるが、ミセス・カーモディーの存在は、自然状態におかれた群集が縋りつくものとしての「宗教」を端的に象徴するものであるのは誰の目にも明らかだ。自らの正当性をヒステリックにまくしたてる彼女の姿はコミカルですらあり、滑稽と恐怖の両義性を体現している。「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」に続き、キリスト教原理主義へのカリカチュアが見られる点にも注目したい。ただどちらも少し図式化されすぎているのが気になるが。現実問題としてアメリカが抱えるキリスト教原理主義の存在はもっと暗澹として複雑なものであるように思うが。
  • 霧の中のモンスターが割りと早い段階で可視化したのには驚いた。てっきり霧の中に隠れて全く姿を現さないものと思っていたからだ。造形はやや陳腐ではあるが、サイズとヴァリエーションに富んだ様々なモンスターを一本の映画で観られるのは単純にわくわくする。ただもう少し、質感や色彩設計に工夫が欲しかったところだ。モンスターの造形にもいえるが、CG処理が悉く失敗している。最初の嵐のシーンとかも萎えまくってしまった。しかし「ミスト」とタイトルに冠するだけに「霧」の怪物性は上手く表現できていたと思う。シャッターの下からぬらぬらと出てくる場面とか本当に生きているかのようだった。
  • 本作からアルフレッド・ヒッチコック「鳥」を連想することはさして難しくないだろう。原因不明の脅威、子どもですら容赦なく危険に晒す理不尽さ、ガラス一枚を隔てたあまりに頼りない攻防、そして恐怖のために責任を押し付けあう人間の心の脆さ、いずれも「鳥」で簡潔なまでに表現されていたテーマだった。というわけで、先日購入していた「鳥」をDVDで見ていたけど、怖いねー、鳥がねー、襲ってくるの。怖いねー、ヒッチコック、怖いねー(淀川長治風)と思いながら見ていた。1時間以上にわたるメイキングドキュメンタリーがめちゃくちゃ充実している。
  • というわけで全然関係ない「鳥」の話になっちゃいました。
  • 明日はソクブン観た後「ランボー」でも観るかな。