Devil's Own

cinema, music, book, trash and so on...

バットマンはジョーカーを殺すべきだった


 Why so serious?という問いが頭の中でぐるぐると回り続ける状態での鑑賞となった二度目だ。この問いかけは、ともすれば作品そのものをメタ視することで、巧みな伏線を張り巡らせテーマとロジックをこねくり回すクリストファー・ノーランの作劇やそれに対してあらゆる解釈をつけようと一生懸命な観客に対しての反語的な意味合いも持ってくるから恐ろしい。そんなわけで、ここで僕が色々言っても後出しジャンケンのような気まずさと出涸らしの紅茶のようないたたまれなさが漂うだけでなく、ジョーカーの陥穽にまんまと嵌ってしまう恐れがあるのだが、一応は自分の中での立ち位置を明文化しておきたい、と思う。さすがにコイントスでこの映画の評価を決めるほど、僕は打ちのめされていない。相対化する正義のテーマ、カタルシスを欠いたドラマツルギー。こんな窮屈で難解な映画が「アメリカ映画」としてヒットすることは確かに映画史的には重要かもしれないが、よくよく考えてみれば僕にとってはそんなに重要ではない、というのが正直な感想だ。それらのテーマは、異次元人ヤプール*1の偏執的な復讐心や導師カク*2がラストに説いた果てることない戦いの輪廻に幼い頃から慣れ親しんだものからすると全く新しくも何ともないからだ。ノーランがこれ見よがしに提示する問いかけや説教は、日本の豊かな特撮文化が何十年も繰り返し実践してきたものであり、しかもより簡潔かつ明快な形で示されている。だからまぁ「ダークナイト」で正義がなんだ、狂気がなんだとあーだこーだ頭のでっかいことをたらたら語り倒している人達*3は、なんかこうもっと目を向けて欲しい。どうせシネフィルちゃん達は蔑視してんだろ?そういうドメスティックでジュヴナイルな文化を。チェックしてても中川信夫*4実相寺昭雄くらいだろ。真船禎や岡村精、竹本弘一など監督たちが見せた東映アクションなどの文脈で語られる冴えたカメラワークとカット割り、矢島信夫という偉大な特撮監督の知恵とスキル、限られた時間と制約の元で独創性に満ちた脚本を多数手がけた伊上、市川、長石、上原、石堂、長坂などの仕事がそうした人々に認めてもらえる日はこないかもしれない。まぁいいけど。
 つまりはアメリカ映画としては新しくてもヒーロー映画としては新しく何ともない『ダークナイト』。ついでに言うと、アクション映画としても最近流行のクローズアップによる撮影と細かいカット割を多用していて個人的には好ましくない。文句ばかり言っているようだが、それでもジョーカーのキャラクター造形が決定的に新しいのは事実。ジョーカーを主役に据えた犯罪映画として見れば間違いなく一級品である。この映画が何に似ているかと言われれば、「ドクトル・マブゼ」と答えてしまうかもしれない。カオスを愛し、秩序の破壊(というよりもそれによって戸惑う人々の反応)を心の底から楽しむアナーキストジョーカーが発する問い"Why so Serious?"。バットマンジョーカーを殺したとしてもこの呪われた問いかけが残っている限りは、まったく意味がない。窮屈な思いをしてまで、傷つけられてまで、愛する人を失ってまで「シリアス」を維持し続けることに意味なんてないだろ?ジョーカーは映画の中でそのことを何度も証明しようとする。目下のところゴッサムの人々もバットマンも「非暴力・不服従」というガンジーめいたイデオロギーを貫くことによって辛うじてジョーカーに抵抗するほかない。
 フィクションにおけるヴィラン(怪人)の行動は極言すると二種類しかないと個人的には思っている。「破壊」と「誘惑」だ。鮮やかに病院を爆発させる一方で、人々に極限下の選択を迫るジョーカーはその双方において一級の仕事ぶりを見せており、だからこそ過去最高に魅力的なヴィランたりえている、というわけだ。何しろ、ヒーローが殺すことの出来ない怪人なのだから。
 で「バットマンジョーカーを殺すべきだった」である。ジョーカーは、バットマンというヒーローに対し、「俺はお前の分身。だからどうしても殺すことが出来ない」という最強の防御線を張っている。バットマンはそれに対して、最後まで殺さないという形で超克しようとするが、それが果たしてヒーローたりえる行動だったのかが僕には疑問でならない。確かに正義と悪は表裏一体、二分できるものではない。そうした悲しき業を全て引き受けた上でヴィランを殺すのがヒーローの役目であり、背負わなくてはならない十字架なのだ。したid:anutpannaさんも指摘するように『ダークナイト』でのバットマンはどうにもそのことを理解していない様子。ジョーカーの問いかけにもいちいちビビッてしまっている。

もしバットマンが、「悪は絶えない」ことを理解し、それでも法規を守るという自分の宿命的倫理も把握し、正義を遂行するなら、ジョーカーとも互角の勝負ができるでしょう。そんなに正義と一体化した人間は、狂人に決まっている。アメコミのバットマンは、自分は「正義という狂気に犯されている」という揺らぎで鬱っぽく苦悩してても、宿命は理解していて正義の行為自体に迷いはないのです。
アヌトパンナ・アニルッダ「バットマンにもっと光を!『ダークナイト』より抜粋

バットマンはやはり、勝利の歓喜と嘲りに満ちた笑い声を耳にしながらもジョーカーを、殺すべきだった。もちろんアメコミ原作のように「殺さない」という形での超克もありうる。だがそれも『ダークナイト』における「殺せない」とは決定的に違っている。ここで、日本における代表的ヴィランのひとつ異次元人ヤプールが断末魔に北斗星司(ウルトラマンA)に向けて残す言葉を引用しておこう。

「そうだ。おまえは勝った。 勝った者は生き残り、負けたものは地獄へ堕ちる。
 しかし、これだけは覚えておくがいい。勝った者は常に負けた者たちの恨みと怨念を背負って生き続けているのだ。
 それが戦って生き残っていく者のさだめだ。」*5

 ジョーカーは高層ビルから墜落していくときのあの愉快そうな笑い声によって、この台詞と同じ真理をこの台詞に匹敵するくらい饒舌に語っている。だがバットマンは殺るべきだった。ジョーカーを殺してもジョーカーの問いかけが、悪が滅びないことを分かった上で、その耳を塞ぎたくなる呪われた笑い声を聞きながら、ジョーカーを殺すべきだった。そうすることで初めてバットマンジョーカーと同じ、ヴィランレベルでの対決を出来たはずなのだ。なぜならヒーローもやはりヴィランであり、テロリストで人殺しであるからだ。
 Why so Serious?ちょっと考えすぎてしまったぜドカーン!!!

*1:ウルトラマンA』に登場する侵略者。異次元から超獣と呼ばれる生物兵器を送り地球を襲う。地球人の欲望や空虚な心に付け込んだ作戦を展開するなど狡猾で執念深い性格。

*2:「『五星戦隊ダイレンジャー』の登場人物。ダイレンジャーを教え導く存在でありながら、敵組織ゴーマ一族の血を引くという二面性を持つキャラクターだった。

*3:それがとっても楽しいことは僕にもわかりますよ!

*4:ウルトラマンレオ」で2本手がけている。

*5:この台詞とヤプールについての考察は少し長いウルトラマンA論http://d.hatena.ne.jp/DieSixx/20070820/p1での第3章「複合的・多重的悪魔・異次元人ヤプール論」でちょっと書いていたりする。