Devil's Own

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だれもしらないメロディー−『ウォーリー』


 文字通り星の数ほどの掌編小説を残した星新一の作品に『ひとつの装置』というものがある。星のショートショートでも5本指に入るであろう傑作だ。*1歴史に残る数多くの発明を残した科学者が、「いまの人類に本当に必要なもの」としてある装置を作り上げた。縦長のドーム型のボディにボタンがついているシンプルだが巨大な建造物。ボタンを押すと頭についていたアームが伸びてボタンを引っ張ってまた押せる状態に戻す。ただそれだけの機械。その製作意図や目的は誰にもわからず、当の発明者もその意図を語らないまま死んでしまう。装置は街の広場に置かれ、通りがかった人々は何とはなしにそのボタンを押してみる。そんな風景が幾度となく繰り返された。それから何十年か経って人類は核戦争により滅亡してしまう。例の装置は荒野となった広場に佇んでいた。ときどき、風で吹き飛ばされた木の破片か何かがボタンにあたったりした。装置はいつものようにアームを動かして、ボタンを元に戻した。機械のボタンが押されなくなって丁度一万年後、その機械から音楽が流れ出した。それは誰にも聞かれることのない、人類へのレクイエムなのだった。
 誰にも聴かれない音。誰にも見られない光景に惹かれるのは僕だけだろうか。文明が進んで、一枚の小さな円盤に音楽や映画は半永久的に保存されるようになった。少なくとも僕の人生よりは長く生き延びる。人類が死滅したあとも、何かのはずみでCDが、DVDが再生されるかもしれない。そんな想像がときどき僕の心の中で首をもたげる。甘くて怖い人類滅亡のイメージだ。
 だから、『ウォーリー』には冒頭から持っていかれた。人類が地球を捨て、宇宙へ飛び去って7世紀。自動ごみ処理ロボットの最後の一台、ウォーリーは今日も地上の掃除に明け暮れる。荒廃したビル、吹きすさぶ砂塵、堆く積み上げられたスクラップの塔の合間を縫って走るウォーリー。内蔵した音声レコーダーからは、お気に入りのミュージカル映画*2の軽快な歌が流れている。人類消滅後の荒廃した風景と往年のミュージカル映画の陽気なメロディー、そのちぐはぐな組み合わせは、キューブリック監督作『博士の異常な愛情』の終盤、ヴェラ・リンのスウィートな戦争賛歌「また会いましょう」に乗せて、水爆実験の映像が連鎖していくコラージュ映像を髣髴とさせる。*3『ウォーリー』の物語は、あの恐ろしくて愉快なエンディングから出発する。そのメロディーは誰の耳にも届かない。孤独ですらない、非人称の彼岸でごみを集めるウォーリーに胸をかきむしるような想いがする。
 だからといって、この物語は宣伝用の拙劣でお涙頂戴的なキャッチコピー*4だけに回収されるものではない。ウォーリーとイヴのロマンスは確かに物語の主軸であるし、不可欠要素だが、本作品が内包するテーマはそれよりもはるかにスケールが大きい。実際僕も驚いた。現在公開されている予告編は、この映画のほんの一要素を伝えているに過ぎない。まっとうなSF映画だったのだ。
 自分にとって異世界に属する他者との邂逅と、それを通した自己発見というドラマツルギー自体が、これまでのピクサーアニメーションで何度も描かれてきたいわば王道である。ウォーリーとイヴの交流も、そうした系譜を踏襲するものであるが、ただし、この物語において他者は主人公のウォーリーだといえるだろう。連れ去られたイヴを追って、単身宇宙船へと乗り込んだウォーリーは、宇宙船内のさまざまな人々(やロボットたち)に影響を与え、その共同体を変質させていく。ロボット化した人間を、人間っぽいロボットが変えていくという捻転したストーリー展開も、古典的ではあるが視覚的な工夫がなされていて飽きさせない。こうしてみると、この映画の主役はウォーリーやイヴというよりも、ウォーリーやイヴの姿を通して、主体性を取り戻し、自らの意志で未来を切り拓いていく未来人たちだともいえる。ぶくぶくと太った未来人の姿には、オートメーション化する現代の人々への皮肉と警鐘が込められている。風刺の効いたキャラクター描写の数々は乾いた笑いを誘うが、ウォーリーに触れることで、恋に落ちたり、知識欲に駆られたりと、少しずつ「人間」へと回帰していく彼らの姿には不思議とこころ動かされる。そうして少しずつ重ねられた感情移入が、『2001年宇宙の旅』*5のパロディー場面で、盛大な爆笑を伴って昇華されている。ここは本当に多幸感あふれる場面だ。
 それにしても、物語前半は、ほとんどセリフなしで描かれており、画とキャラクターの魅力で押し切る簡潔で饒舌な演出には感心した。最近のディズニー映画はやたら喋っていたのが気になっていたので、これは特筆すべき点だろう。
 エンドクレジットは、後日談が美術史をたどる形で描かれており、これも楽しい。最後の最後まで楽しませようとするスタッフの気概が伺えた。そして、本当に最後の最後・・・痛烈なカウンターパンチが。『魔法にかけられて』に続き、キレイゴトの王者ディズニーの新たな覚悟を感じさせる自己批判が用意されている。これは驚いた。
 いずれにしても、素晴らしい。子ども映画(敢えてこう呼ぶ)の大傑作。今年最後の映画だな。もう一度みよう。

妖精配給会社 (新潮文庫)

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*1:例に漏れず僕も、星は中学生のときよく読んだ。量産ゆえに文学的には軽視される傾向にあり、実際僕も一時期は馬鹿にしていたが、『おーいでてこーい』『処刑』『最後の地球人』『午後の恐竜』あたりは傑作だと思う。

*2:未見ですが、劇中でたびたび引用される映画は、ジーン・ケリー監督の『ハロー・ドーリー!』だそうです。

*3:id:SomeCameRunningさんは、同じくキューブリックの『時計じかけのオレンジ』において、アレックスが「雨に唄えば」を歌いながらレイプに興じるシーンとの親近性を指摘おられました。

*4:「ずっとひとりぼっちだったからずっと一緒にいたかった」みたいな感じだっけ??

*5:またキューブリック