Devil's Own

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『サマーウォーズ』


 アクション映画かくありなん。すごく面白かった。ラ・シオタ駅に列車が到着して以来ずっと、スクリーンで「うごく」ものたちこそが見る者を惹きつけてきたのだから、細田守がこのアニメ映画を堂々と「アクション映画」だと言い切ることに僕は感動を覚える。キャラクターたちの、「走る」「ころぶ」「投げる」「跳ぶ」「書く」「食べる」といった日常的身振りが、すべからく魅力的に表現されている。まさに映画の原初的快楽に満ちた作品だった。特に、「食べる」身振りの描写力は誰が見ても明らかなのではないか。最近eiga.comで「映画史に残る食事の名シーン13というリストが発表されていたが、『サマーウォーズ』劇中で、親戚一同が大きな食卓を囲むシークエンスは、『クレイマー、クレイマー』のフレンチトーストと並べても遜色のない力作となっている。親戚一同が出揃う食事の場面は二度あり、重要な差異と反復を持っているところも秀逸だ。何にせよ、こうした場面における「食べる」描写への執念はちょっと尋常ではない。
 今となっては、仮想空間OZよりも、親戚が一堂に会する夏休みの方がフィクショナルなものになってしまったようにおもう。豊かな大自然に囲まれた屋敷と、そこに集まるテンションの高い親戚たち。このような場面に遭遇したことのある人がそう沢山いるとも思えないが、有無を言わせず「懐かしい」という感覚が呼び覚まされるのはなぜだろうか。
 打って変わって、仮想空間OZは、SNSや電子政府に着想を得たとおぼしき、実に快適なシステムとして描かれている。ガイダンス映像風にOZの概要を説明する手法にも感心するし、素直にわくわくしてしまった。映画の中の近未来が暗くて生きづらいディストピアとして描かれるようになって久しい気がするが、日本映画の中でこんなにポジティブな未来図が描かれるとはうれしくおもう。
 肯定の力はこの映画の方向性をはっきりと決定付けている。親戚どうしの「つながり」にも、ネットワーク上の「つながり」にも、悪い側面がたくさんあるのは誰だって知っているが、その両サイドをここまで綻びなく同時に肯定してみせた物語は初めてではないだろうか。少なくとも僕は、90歳のお婆さんが旧友に電話をかけまくって団結を呼びかける場面と、インターネット上の見知らぬ人たちが必要なもの(アカウント)をカンパする場面が共存できる映画を知らない。多くの映画で描かれる、「ネット:家族」という極端に単純な二項対立にはすごく違和感を感じていた。*1サマーウォーズ』は、それなりに理想化された世界ではあるけれど、それでもかなりの部分で真実に迫っているようにおもう。
 それにしても変声期直後と推測される神木君の声はとっても素敵であった。最近の成長した神木君のセクシーさにはとても驚く。

*1:『誰も守ってくれない』とかのネットの描かれ方とか本当にゲロ吐きそうになった。