Devil's Own

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笑えない僕らの笑えないセックス―井口奈己「人のセックスを笑うな」


 いやもうその通り、人のセックスこそがこの世で最も滑稽で愚劣で愛おしいコメディーだ。抱腹絶倒の極み、いかなる芸人や落語家が最強の鉄板ネタを以ってしてもおおよそ適う相手ではない。あらゆる傲慢な人間たちが恥じも衒いも捨てて薄汚い「ケモノ」へと堕落する。このときばかりは、どんなに偉くとも、賢くとも、誇り高くとも、情けない醜態を晒す。階層化された社会で人間が唯一対等でいられる行為であり、深い意識へと潜りこみ本能へと肉迫する極限の儀式でもある。
 そんな当たり前の事実にどうして誰も気がつかないんだと思う。今メディアから溢れかえっているポルノは、マニュアル化され形骸化したフェイクのセックスだ。だから誰もAVを見たって笑わない。*1僕らはそうやって生産されるセックスをいつのまにか受容する。かくして、同じような肉体に、同じような顔立ちに、同じようなシチュエーションに発情するセクサロイドが完成する。男子はアダルトビデオを見てスムーズな手順や体位パターンをせっせと予習し、女子はananを読みふけって「感じやすい愛され女子」になるべく肉体改造にいそしむ。こうして発情した男女は「大学」という社交場へと集められ、適当な相手を選び、メール交換→デート→手をつなぐ→キスと手続きを踏み、大抵は数週間でホテルに行く。そこでもお互い予習してきたとおりのステップを踏む。男子が射精即ち終結。何もかもが滞りなく進み、世の中ではそれが恋愛だということになっている。そんなこんなだからやがてやって来る倦怠に大抵のカップルは対応しきれず破局する。別に困ることはない。またステップ1から始めればいい。
 さて、井口奈己監督作「人のセックスを笑うな」は、そういったベルトコンベアー恋愛を断固として否定する。と言っても松山ケンイチ永作博美は割りとあっさり恋愛関係を結んでしまうのだけれど、そこに至る過程には確かに二人の心の動きと駆け引きが蠢いている。そして唐突な、しかしながら決定的な瞬間を越えて二人は恋に落ちるのだけれど、そのストンと落ちる直前になって井口はふっと話を逸らしてしまう。この持っていき方、19世紀フランスの古典的恋愛小説のようで実に上品だ。
 この作品はF2層が松山ケンイチに「萌える」映画ではない。最強のファム・ファタールとなってスクリーンに登場した永作博美に戦慄し、前半で恋愛だと思っていた松山ケンイチ永作博美の関係がどうやら恋愛ですらない、大いなる幻影だったらしいということに気づかされる映画だ。
 さらりとした長回しや自転車二人乗りにおける平行移動や素敵なところはたくさんありますが傑作だと思います。137分と長尺だが、本当は160分もあったそう。そちらも是非見てみたい。

*1:たまに一生懸命な男優がいると笑ってしまうが。